軍記物ふうの英雄伝記物語。作者不詳。鎌倉後期から室町初期にかけての成立。伝本に真字本(10巻)と仮名本(10巻,または12巻)とがある。1193年(建久4)5月28日夜,曾我十郎祐成(すけなり)・同五郎時致(ときむね)兄弟が父の敵工藤祐経(すけつね)を討ち取った事件を中心に構成された物語で,この仇討の原因となった伊東家同族間の所領争い,祐経による兄弟の父河津三郎の暗殺,母の曾我氏への再嫁などから物語が始められる。次いで兄弟の生い立ちや貧困に耐えながら助け合い励まし合って敵をねらうさまが描かれ,ついに復讐をとげる。時代的な背景として源頼朝の旗揚げや開幕に至る過程をからませ,狩りのようす,新(仁)田四郎の猪退治,河津三郎・俣野五郎の相撲など,関東武士の行動や気質も描かれ,大磯の宿の遊女虎(とら)と十郎祐成との恋なども配されている。仇討の後,兄弟の忠実な家来鬼王・道(団)三郎が高野山で出家し,虎は箱根で兄弟の菩提を弔い,みずからも出家して諸国を回国修行し,ついに大磯の高麗寺で往生をとげるまでの後日談で終わっている。
《吾妻鏡》にもこの仇討事件ばかりでなく,虎が箱根で仏事を修し,出家して善光寺におもむいたことが記されているところから,曾我兄弟の物語は事件直後からある程度まとまった形で語り伝えられたものと考えられる。おそらくそれは激しく祟(たた)る五郎や十郎の御霊を慰撫する鎮魂のために,冥界の消息に詳しい遊行の巫女や回国の比丘尼などが口頭で語り伝えたのであろうとされている。真字本をみると,関東武士の動向に強い関心を示すなど同時代的性格をもつが,他方では《神道集》や《宝物集》などにみえる諷誦唱導文ふうの文章と同じものが多く含まれている。このことから,先の口頭による曾我兄弟の物語が安居院(あぐい)の唱導とも関係しながら伝えられ,鎌倉後期に箱根山の僧などによってまとめられたのが真字本の祖本ではないかと考えられている。これに比べて,仮名本は唱導的な色彩が薄れ,登場人物にはっきりとした輪郭が与えられ,全体の構成の緊密さを犠牲にしてまでも各場面での劇的な盛上がりを作り出そうとする傾向がみられ,例えば巻三〈畠山重忠乞い許さるる事〉での御家人たちの兄弟助命の嘆願や頼朝と重忠との議論,巻六〈大磯の盃論(さかずきろん)の事〉での虎の心意気をみようとしてくりひろげられる十郎祐成と和田義盛との対決,その直後の五郎時致と朝比奈義秀との草摺引(くさずりびき)などは仮名本特有の趣向である。仮名本は京都近辺で室町前期に再修・増補されたものと考えられている。後の謡曲に《切兼曾我》《小袖曾我》など,幸若舞に《和田酒盛》《夜討曾我》など,多くの曾我物があり,これらは直接仮名本に取材したといえないまでも,劇的な盛上がりをみせるという点で,仮名本の傾向に通じるものがある。近世に入っても仮名本が広く読まれたらしく,多種の刊本があり,謡曲・幸若舞の曾我物とともに,浄瑠璃・歌舞伎に大きな影響を与えた。
→曾我兄弟 →虎御前
執筆者:村上 学
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軍記物語。10巻。仮名本系増補再編伝本は12巻。鎌倉開幕前後,領地相続に始まる私闘の間に父祐泰を討たれた曾我十郎・五郎兄弟の工藤祐経に対する仇討物語。作者・成立年不詳。14世紀後半~15世紀初め,「七十一番職人歌合」「自戒集」「醍醐寺雑記」などにあるような鎮魂が主題の曾我語りともいうべき語り物をもとに,幕府体制の形成過程で疎外された武士の姿も描きこみ,関東に縁のある唱導関係者が新たに作品化したものか。諸本は真名本・仮名本の二つに大別され,真名本系が古態を残す。仮名本系は現存真名本とは別系の本文からなり,増補再編をへて広がり,謡曲や近世演劇・小説・実録物に素材を提供し,「曾我物」をうんだ。「東洋文庫」「日本古典文学大系」所収。
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…団三郎・鬼王の兄弟は,曾我十郎・五郎の従者として知られている。ただし,鬼王・団三郎は能や歌舞伎の曾我物での呼称であり,《曾我物語》では鬼王丸・丹三郎(真名本),鬼王・道三郎(仮名本)である。幼少のころより曾我兄弟に仕え,片時も離れず付き従っていたと《曾我物語》にあるが,実際に物語中に登場するのは後半になってからのことであり,2人の登場には不審な点がある。…
…そのとき,兄弟は敵討への固い決意を確かめ合い,共に箱根を下り,北条時政を烏帽子(えぼし)親として元服する。幸若舞曲の他の曾我物同様,仮名本《曾我物語》に近い内容であるが,兄弟対面の場面などに,真名本の描写に近いと思われるところもある。幸若に先行すると思われる同名の能があるが,本曲とも《曾我物語》とも異なった点もある。…
…兄は戦いの場で死に,弟は祐経の遺児に引き渡されて首を斬られた。兄弟の復讐事件は世間に流布し,《曾我物語》が生まれた。【小田 雄三】
[伝承]
《曾我物語》には,後の能,幸若舞その他の作品としても有名ないくつかの説話群がある。…
…わが芸能史上最も数の多い演目をもつ史実潤色の作品群。源頼朝幕下の重臣工藤祐経(すけつね)に,父河津祐泰を討たれた遺子の十郎祐成(すけなり)・五郎時致(ときむね)の兄弟が,18年目に富士の裾野の巻狩で工藤を討った事件は《曾我物語》になり,幸若舞,能,古浄瑠璃をはじめおびただしい数の演目で,特に江戸の大衆に喜ばれた。近松門左衛門も人形浄瑠璃のために書いたが,歌舞伎では,江戸の荒事が五郎という人物を典型化したので,代々の市川団十郎がこの役を演じた。…
…鎌倉初期に相模国大磯宿の遊女であったと伝えられる女性。《曾我物語》に曾我兄弟の兄十郎祐成の愛人として登場する。《吾妻鏡》建久4年(1193)6月1日条および18日条にその名があらわれるが,実在性は疑わしい。…
…義盛はこれに応じず,時政に内通したが,忠常はあいまいな態度を示したため,疑われて時政に滅ぼされた。【細川 涼一】
[伝承]
《曾我物語》巻八〈富士野の狩場への事〉によって,頼朝の面前で猪に逆さまに乗ってしとめたという忠常の勇猛ぶりは知られているが,この猪は実は山神であり,そのたたりで忠常はいくほどもなく謀反の疑いをかけられ,討たれたとある。《曾我物語》成立の動機に,曾我の十郎,五郎の荒ぶる霊(たたり)を鎮める鎮魂の意図があることは明らかであるが,史実とは異なる忠常の死についてのこのような伝承も,《曾我物語》全体を通してうかがえる御霊(ごりよう)信仰との関係で改変されたものであろう。…
…たとえば,同じ軍記物語の《太平記》は,しばしば《平家物語》を念頭において,場面や人物像を構成している。《義経記(ぎけいき)》は,義経をめぐる《平家物語》の続編ともいうべき室町期の語り物であり,《曾我物語》は,その流動の過程で《平家物語》から構成上の影響を受けている。さらに能や狂言,幸若(こうわか)舞曲,室町期の物語,江戸期の各種小説,浄瑠璃,歌舞伎から近代の小説や劇に至るまで,直接もしくは間接的に《平家物語》の影響を受けている。…
…1724年(享保9)市村座初演《嫁入伊豆日記》以後の歌舞伎や,また各地に伝わる伝説でも曾我兄弟の母をマンコウとするものが多い。しかし,《曾我物語》には母の名は記されていない。《東奥軍記》《和賀一揆(わがいつき)次第》(ともに江戸初期の成立か)などに伊東入道祐親の娘の名を〈まんこう御前〉とする。…
※「曾我物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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