朝日日本歴史人物事典 「中井厚沢」の解説
中井厚沢
生年:安永4(1775)
江戸後期の蘭方医。安芸国(広島県)宮島生まれとされるが定かではない。名は潤。広島の整骨医星野良悦に医を学び,江戸に出て大槻玄沢,長崎に遊学して吉雄耕牛 ,蘭医フェイルケらに蘭学を学んだ。広島で開業し,蘭学塾を開いて広島蘭学の本格的導入者となった。門下に坪井信道,岡研介らがおり,新宮凉庭 も長崎遊学途次に寄寓して師事し,江戸に出る前の土生玄碩も洋方眼科を学んでいる。『ハルマ和解(江戸ハルマ)関西版』の刊行のほか,「ビリリ考」「升汞丹製法秘訣」「泰西眼科全書薬物考」(ともに未刊)の著作がある。広島で没し寺町光福寺に葬られたが,原爆で墓石,過去帳は失われた。<参考文献>『芸備医志』,宗田一「中井厚沢と土生玄碩」(『日本医史学雑誌』32巻2号)
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報