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中井厚沢 なかい こうたく

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中井厚沢 なかい-こうたく

1775-1832 江戸時代後期の蘭方医。
安永4年生まれ。広島の星野良悦に医学を,江戸の大槻(おおつき)玄沢,長崎の吉雄耕牛(よしお-こうぎゅう),フェイルケらに蘭学をまなぶ。広島で開業,塾をひらいて広島蘭学の祖とされる。天保(てんぽう)3年死去。58歳。名は潤。訳書に「升汞丹(しょうこうたん)製法秘訣(ひけつ)」「弼離力考(ひりりこう)」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中井厚沢

没年:天保3(1832)
生年:安永4(1775)
江戸後期の蘭方医。安芸国(広島県)宮島生まれとされるが定かではない。名は潤。広島の整骨医星野良悦に医を学び,江戸に出て大槻玄沢,長崎に遊学して吉雄耕牛 ,蘭医フェイルケらに蘭学を学んだ。広島で開業し,蘭学塾を開いて広島蘭学の本格的導入者となった。門下に坪井信道,岡研介らがおり,新宮凉庭 も長崎遊学途次に寄寓して師事し,江戸に出る前の土生玄碩も洋方眼科を学んでいる。『ハルマ和解(江戸ハルマ)関西版』の刊行のほか,「ビリリ考」「升汞丹製法秘訣」「泰西眼科全書薬物考」(ともに未刊)の著作がある。広島で没し寺町光福寺に葬られたが,原爆で墓石,過去帳は失われた。<参考文献>『芸備医志』,宗田一「中井厚沢と土生玄碩」(『日本医史学雑誌』32巻2号)

(宗田一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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