ワイマール(その他表記)Weimar

翻訳|Weimar

デジタル大辞泉 「ワイマール」の意味・読み・例文・類語

ワイマール(Weimar)

ドイツ中部、チューリンゲン州の都市。1918年までザクセン=ワイマール=アイゼナハ公爵の宮殿都市であり、18、19世紀にドイツ精神文化の中心地となった。ゲーテシラーヘルダー住居ほか、公妃アンナ=アマーリアの図書館などがあり、1998年にいずれも「古典主義の都ワイマール」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。また、1919年にグロピウスが創立したバウハウスの建物(現バウハウス大学)は、1996年に「ワイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「ワイマール」の意味・読み・例文・類語

ワイマール

  1. ( Weimar ) ドイツ中部の都市。チューリンゲン盆地の中央にある。一八~一九世紀、カール=アウグスト公の治下にゲーテ、シラーなどが集まり、学術文化の中心地として栄えた。一九一九年国民議会が開かれ、ドイツ共和国憲法ワイマール憲法)が制定された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ワイマール」の意味・わかりやすい解説

ワイマール
Weimar

ドイツ中部,チューリンゲン州の都市。人口5万9000(1991)。18世紀以来ドイツ自由主義精神の伝統的文化都市である。13世紀に都市となったが,1485年後ザクセン公領となり,1539年宗教改革を受け入れ,新しい宮殿も造られた。72年ザクセン・ワイマール公領の首都となり,1775年住民も6000を数えた。カール・アウグスト公(在位1758-1828)親政下(1775-1828),勃発したフランス革命の影響もあってドイツ自由主義文化の中心となる。75年以来ゲーテはこの公国の政務を担当し,1832年ここで没した。この時代に,シラー,ヘルダー,詩人のウィーラントなどがワイマールに集まってドイツのブルジョア的な宮廷文化の華を咲かせる。ゲーテの家は当時の典型的な貴族の住宅として国立博物館の形で保存されている。1825年建造の劇場はR.ワーグナーオペラの初演と結びついて音楽史上黄金時代を示したが,1907年改築された。18年ドイツ革命で君主制が倒されると,険悪な状勢にあったベルリンを避けて19年1月国民議会がここに開かれ,8月11日ワイマール憲法が制定された。ブルジョア民主主義を象徴するワイマール共和国の時代には,社会民主党の重要な拠点として20年には労働者と市民がカップ一揆を追い出し,23年にはチューリンゲンに労働者の州政府をつくり出している。しかしこれはワイマール連合右派の武力により鎮圧され,またワイマール連合自体も33年ヒトラーが政権を取ってからはナチスに弾圧された。37年,北郊にブーヘンワルトBuchenwaldの強制収容所がつくられ,多くの戦争犠牲者を出したが,戦後はドイツ民主共和国東ドイツ)の文化都市として再建された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイマール」の意味・わかりやすい解説

ワイマール
Weimar

ドイツ中部,チューリンゲン州の都市。エルフルトイェナの中間に位置する。 975年記録に名が現れ,1348年都市権を取得,1547年ザクセン=ワイマール公国,1815~1918年はザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公国の首都となった。 18世紀末~19世紀初頭にザクセン=ワイマール公カルル・アウグストが文人を厚遇したので,ゲーテシラーヘルダーウィーラントなどが集まり,ドイツ文学の聖地となった。 1919年には革命後最初の国民議会がここに召集され,ワイマール憲法がつくられた。 1920~48年には旧チューリンゲン州の州都。市の北西ブーヘンワルトに 1937~45年ナチスの強制収容所が置かれ,跡地には国の記念施設がある。農業用コンバイン,機械,電気部品,化学製品,家具,建築材などの製造業が行なわれている。バウハウスの発祥地としても知られ,その作品群はデッサウのそれらとともに,1996年世界遺産の文化遺産に登録。ゲーテとシラーの銅像 (1875) がある国立劇場,ゲーテの家 (ゲーテ国立博物館) ,シラーの家,音楽家リストの家 (リスト博物館) ,ニーチェ文庫,国立ドイツ古典文学研究所,ドイツ・シェークスピア協会本部などがあり,これらドイツ文学ゆかりの建築物は,1998年世界遺産の文化遺産に登録。ほかにもワイマール城 (1790~1803) ,ベルベデーレ城 (1724~32) など歴史的建築物が多い。人口6万 326 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイマール」の意味・わかりやすい解説

ワイマール
わいまーる
Weimar

ドイツ中部、チューリンゲン州の都市。1949~90年は旧東ドイツに属した。チューリンゲン盆地のほぼ中央、エッター山の南麓(なんろく)、イルム川に沿う標高240メートル地点にある。人口6万2400(2000)。1918年までザクセン・ワイマール・アイゼナハ公爵の宮殿都市であったため、多くの教育・文化施設がある。建築建設大学、リスト音楽大学、チューリンゲン国立図書館、チューリンゲン国立文庫、先史歴史博物館、ドイツ国民劇場、ゲーテ博物館、シラー館、リスト博物館、ニーチェ文庫などである。そのほかゲーテ協会、フランツ・リスト連盟、シェークスピア協会、ダンテ協会、各種の古典ドイツ文芸の研究機関や協会などがある。工業は農業機械、ケーブル、精密工具、電気機器などの製造が行われる。1919年2月、ここに招集された国民議会はベルサイユ条約を承認し、8月に共和国憲法(ワイマール憲法)を制定した。エッターベルク山上に、ナチスが設けた強制収容所ブーフェンワルトの記念碑が立っている。なお、この都市は1998年に「古典主義の都ワイマール」として世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。

[佐々木博]

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百科事典マイペディア 「ワイマール」の意味・わかりやすい解説

ワイマール

ドイツ中央,イルム河岸の都市。機械,電気機器,農機具などの製造が行われる。18―19世紀にウィーラントヘルダーゲーテシラーリストなどが集まり,ドイツの精神文化の中心であった。ゲーテ博物館,シラーの家,ゲーテ協会などがある。1547年以来ザクセン・ワイマール公国の主都。ドイツ革命後の1918年国民議会が開かれ,ワイマール憲法が制定された。第2次大戦中は多くの被害を受けたが,戦後東ドイツの文化都市として再建。ドイツ古典文化の盛期に関連する建造物やバウハウスの関連遺産は1998年世界文化遺産に登録されている。6万5000人(2005)。
→関連項目ワイマール共和国

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旺文社世界史事典 三訂版 「ワイマール」の解説

ワイマール

ヴァイマル共和国

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世界大百科事典(旧版)内のワイマールの言及

【バウハウス】より

…1919年,ドイツのワイマールに設立された美術工芸学校。25年デッサウに移り,33年ベルリンでナチスによって解散させられる。…

※「ワイマール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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