日本歴史地名大系 「中仕上村」の解説 中仕上村なかしあげむら 栃木県:栃木市中仕上村[現在地名]栃木市仲仕上町(なかしあげまち)・城内町(じようないちよう)二丁目・神田町(かんだちよう)栃木町・栃木城内(とちぎじようない)村の東に位置し、北東は大宮(おおみや)村。村内を巴波(うずま)川の支流赤淵(あかぶち)川が流れ、流域は湿地帯になっている。史料上は仲仕上村とも記される。慶安郷帳に村名がみえ、田二二一石余・畑三三石余で下総古河藩領。貞享元年(一六八四)より元禄七年(一六九四)まで堀田正虎領(紀氏雑録続集)。元禄郷帳では古河藩領。改革組合村では旗本久世領で、家数二〇。享保四年(一七一九)の壬生宿助郷帳(鈴木貞一文書)によれば、元禄一〇年頃より壬生(みぶ)通飯塚(いいづか)宿(現小山市)の定助郷を勤めている。文久二年(一八六二)の取替連印一札(松沼武文書)によれば当村の喜右衛門は村内に栃木城内村の寅之助と両人持の水車をもっていたが、この年一人持となり、以後借用地代金として毎年三両余を寅之助に支払うこととした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by