中分田村(読み)なかぶんだむら

日本歴史地名大系 「中分田村」の解説

中分田村
なかぶんだむら

[現在地名]鹿本町中分田

合志こうし川が菊池川に合流する左岸にあり、北は菊池川を挟んで藤井ふじい(現山鹿市)、東は玉名たまな郡分田村、西は同郡下分田村、南は山本やまもと山城やましろ(現植木町)と接する。慶長一三年(一六〇八)検地帳によれば、田二九町九反三畝余・畑二町一反七畝余、分米四〇〇石余、戸数一一・人数二八、牛馬六。慶長九年九月の分田村検地帳は三冊あり、それぞれのちの上分田・中分田・下分田のものと思われる。どれが当村分かは不明であるが、田下ケ名には前田・宮ノもと・石はし・木さきなど二八余、畑下ケ名には宮ノもと・前畠がみえる。近世玉名郡中富手永に属した。宝暦一三年(一七六三)の下ケ名寄帳には二七町六反六畝余・高四〇一石八斗余、うち二七町三反九畝余が御給知で、新地はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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