上田(読み)ウエダ

デジタル大辞泉 「上田」の意味・読み・例文・類語

うえだ【上田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「上田」姓の人物
上田秋成うえだあきなり
上田万年うえだかずとし
上田岳弘うえだたかひろ
上田貞次郎うえだていじろう
上田うえだトシコ
上田利治うえだとしはる
上田敏うえだびん
上田三四二うえだみよじ

うえだ【上田】[地名]

長野県中東部の市。安土桃山時代は真田氏の根拠地。江戸時代は松平氏の城下町。明治から大正期には養蚕・製糸業の中心地。現在は電気機械などの工業が行われる。平成18年(2006)3月、丸子町・真田町・武石村と合併。人口16.0万(2010)。

じょう‐でん〔ジヤウ‐〕【上田】

地味が肥え、収穫の多い田。⇔下田げでん

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精選版 日本国語大辞典 「上田」の意味・読み・例文・類語

うえ‐だうへ‥【上田】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 上の方にある田。高い所にある田。
      1. [初出の実例]「松陰の水せき入れて住よしの岸のうへ田に早苗とるなり〈安倍宗長〉」(出典:風雅和歌集(1346‐49頃)雑上・一五一〇)
    2. うえだじま(上田縞)」の略。
      1. [初出の実例]「上田の小袖、きがら茶どんすの柳茶しゅすなぞの帯」(出典:洒落本・客衆肝照子(1786)おどり子)
    3. うえだがみ(上田紙)」の略。
      1. [初出の実例]「鼻紙も上田中杉ではすまず」(出典:談義本・当世花街談義(1754)二)
  2. [ 2 ] 長野県北東部の地名。古くは信濃国分寺が置かれた。江戸時代には松平氏五万三〇〇〇石の城下町となり、幕末から昭和初期まで養蚕、製糸の中心地として栄えた。大正八年(一九一九)市制。

じょう‐でんジャウ‥【上田】

  1. 〘 名詞 〙 地味が肥え、収穫の多い田地。また、検地によって、もっとも生産力が高いと認定された田。上等の田地。
    1. [初出の実例]「又王臣家、国郡司、及殷富百姓等、或以下田易上田、或以便相換不一レ便」(出典:続日本紀‐延暦一〇年(791)五月戊子)
    2. 「田畑致検地、上中下の地位を分け、上田一段歩に石盛幾つ、中下はいくつと究め」(出典:地方凡例録(1794)二)
    3. [その他の文献]〔史記‐貨殖伝〕

あげ‐た【上田】

  1. 〘 名詞 〙 高い土地にあって、水はけのよい田。⇔下田(くぼた)
    1. [初出の実例]「兄高田(アケタ)を作らば、汝、洿田(くぼた)を作り可(ま)せ」(出典:日本書紀(720)神代下(鴨脚本訓))

うえだうへだ【上田・植田うゑだ】

  1. ( 「うえた」とも ) 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「上田」の意味・わかりやすい解説

上田[市] (うえだ)

長野県東部の市。2006年3月旧上田市と真田(さなだ)町,丸子(まるこ)町および武石(たけし)村が合体して成立した。人口15万9597(2010)。

上田市中部の旧市。上田盆地の中心都市で千曲(ちくま)川に沿う。1933年市制。人口12万3680(2005)。古代には信濃国府・国分寺が設けられ(跡は史跡),戦国時代に真田昌幸が城を築いて以来,城下町として発展,市街は旧北国脇往還に沿って発達した。明治に入ってからは,小県(ちいさがた)郡,さらに南北佐久を含めた東信濃の行政・経済の中心地になり,商圏は群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村にまでおよんでいる。江戸時代から蚕種業,製糸業,つむぎ製造などが盛んで,明治時代に小県蚕業学校(現,上田東高校),上田蚕糸専門学校(現,信州大学繊維学部)も設置された。現在では電気機械,輸送機械,産業機械などの工業が発展している。上田城跡(史)には三つのやぐらがあり,農民美術を育てた山本鼎の美術館が構内に設けられている。市の西部を塩田平といい,別所温泉を中心に,中世塩田北条氏が残した文化遺産が多く,〈信州の鎌倉〉といわれている。常楽寺の多宝塔(重要文化財),安楽寺の八角三重塔(国宝),前山寺の三重塔(重要文化財)などの文化財がある。長野新幹線・しなの鉄道・上田電鉄などが走る交通の要衝をなす。上信越自動車道の上田菅平インターチェンジがある。
執筆者:

信濃国小県郡の城下町,北国脇往還の宿場町。地名の初見は1329年(元徳1)の上田庄。この地は古代に信濃国府,国分寺・同尼寺が置かれ,以来信濃国の一中心地であったが,上田町の形成は1584年(天正12)の上田城築城にはじまる。小県郡および北上州一帯を勢力圏とした真田昌幸が,真田(現,上田市)から本拠を移して,上田盆地の中心,千曲川北東岸段丘上に築城した。昌幸は同郡海野(うんの)郷,原郷の住民を移住させて海野町,原町の商人町,鍛冶町,紺屋町などの職人町をつくり,以後1622年(元和8)入封の仙石氏,1706年(宝永3)入封の松平氏もこれを受けついで城下町が整備された。城回りに侍屋敷,町の周縁部に社寺が置かれ,町人町としては海野町から横町が,原町から田町,木町,柳町などが分枝した。また城下囲いとして太郎山山麓や千曲川沿いから房山(ぼうやま),山口,鎌原,西脇,新町,生塚,諏訪部,秋和,常田の9ヵ村を町の周囲に移し,北国脇往還東入口の常田と西入口の新町に枡形(ますがた)を設けて番所を置いた。町方の中心は海野・原両町で,両町は六斎市の市町,1603年(慶長8)設置の宿場町でもあった。海野町柳沢家,原町滝沢家が世襲の問屋をつとめ,柳沢家は海野町,横町,鍛冶町を支配して宿駅の本陣を兼ね,滝沢家は原町,田町,柳町,紺屋町を支配した。各町には世襲的な町年寄がいて,両問屋を補佐して町政をとりしきった。63年(寛文3)の戸口は,城回りの侍屋敷など225戸,町方は海野町77戸,657人,原町96戸,790人,横町65戸,353人など計350戸,2610人。1706年も358戸で変化が少ないが,後期には周辺村部の町並み化が進んだ。特産の上田縞,上田つむぎをはじめ米穀,太物,後期には生糸,蚕種などの商取引で栄え,藩も殖産興業に積極的で1857年(安政4)に産物会所を海野町,原町に設けた。町内最大の祭礼は城祭(祇園祭)。1761年(宝暦11)と1869年(明治2)の一揆で多数の打毀(うちこわし)・焼失をみた。
執筆者:

上田市北部の旧町。旧小県郡所属。人口1万1310(2005)。上田盆地に続く平地が南部に開けるほかは周囲を標高1000m以上の山々で囲まれ,山林・原野が町域の80%近くを占める。古くは真田郷と呼ばれ,町名も戦国期に活躍した当地方の名族真田一族にちなんでつけられた。南部に耕地,集落が集中し,稲作,リンゴ栽培が盛ん。1980年代以降シイタケ,ナメコエノキなどの栽培が増えた。電気機械器具などの工場誘致により,70余の事業所が進出した。町の北東部,四阿(あずまや)山,根子岳の西麓を占める菅平高原は上信越高原国立公園に属し,冬季はスキー場,夏季はラグビー,テニスなどの合宿地としてにぎわう。また高原野菜の特産地としても知られる。四阿山南側中腹には複輝石安山岩の岩脈〈的岩〉があり,天然記念物になっている。紅葉で有名な角間(かくま)渓谷,角間温泉もある。

上田市南端の旧村。旧小県郡所属。人口4120(2005)。村域の大部分筑摩山地に属し,西部に美ヶ原が広がる。主産業は農業で,昭和30年代までは養蚕が中心であったが,現在は養鶏,養豚を中心とする畜産,トマト,キュウリなどの野菜栽培,稲作が盛んになっている。人口の流出が激しく,過疎対策として電機,農業機械,食料品などの工場が誘致されている。近年人口は横ばい状態にある。ビーナスラインの完成(1981)により美ヶ原の観光地化が進み,観光客も年々増えている。高原上の美ヶ原高原美術館,旧村役場近くにある〈ともしび博物館〉などが代表的な文化施設。

上田市南部の旧町。旧小県郡所属。人口2万4541(2005)。千曲川支流の依田川と内村川の流域に東西に細長く広がる。中世に依田荘があり,源義仲挙兵の地ともいわれる。東部の依田川沿いの沖積地を除くと大部分が筑摩山地にあり,山林・原野が町域の7割を占める。中心集落の丸子には明治末から大正にかけて依田川の水力を利用して製糸業が発達,生糸の町として知られたが,第2次大戦後は紡績,電機部品,食品などの工業に転換している。主産業は米作,果樹,野菜,花卉の栽培を中心とした農業で,特産のヤクヨウニンジンは町内で加工され輸出もされる。国道254号線三才山(みさやま)トンネルの開通(1976)後は松本市と1時間以内で結ばれ,中信地方との関係も緊密化した。内村川沿いの霊泉寺温泉鹿教湯(かけゆ)温泉,大塩温泉(単純泉,40℃)は内村温泉郷として国民温泉に指定され,多くの保養客が訪れる。東内(ひがしうち)地区には虚空蔵堂(重要文化財)のある法住寺,シダレエノキ(天),西内地区にはシダレグリ自生地(天)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田」の意味・わかりやすい解説

上田(市)
うえだ

長野県中東部、上田盆地の中心都市。千曲川(ちくまがわ)中流に位置し、1919年(大正8)市制施行。1921年城下(しろした)村、1954年(昭和29)塩尻(しおじり)村、川辺村、1956年神川(かんがわ)村、泉田村、1957年神科(かみしな)村、1958年豊殿(ほうでん)村、1970年塩田町、1973年川西村を編入。上田盆地の大部分が市域になった。2006年(平成18)小県(ちいさがた)郡丸子町(まるこまち)、真田町(さなだまち)、武石村(たけしむら)を合併。この合併で、旧来の上田市の北に真田地区、南に丸子・武石地区を加え、新しい上田市はもとの面積の3倍ほどに拡張した。千曲川の右岸部は、烏帽子(えぼし)火山からの泥流地や、千曲川の段丘からなり、市街地も段丘上を占める。左岸は通称塩田平(しおだだいら)とよばれる平坦(へいたん)地で、千曲川の支流である産(さん)川や浦野川の沖積地である。JR北陸新幹線としなの鉄道が従来の信越本線上田駅を共用し、市街地の東北部山麓(さんろく)には上信越自動車道の上田菅平(すがだいら)インターチェンジがある。国道18号は市街地を東南―西北方向に通過し、これと直交する形で群馬県長野原町方面から松本市へ通ずる国道143号、144号が東西に走る。また、別所(べっしょ)温泉への上田交通別所線の電車や、菅平、鹿教湯(かけゆ)、武石など各方面へのバスの発着地。ほかに東部を国道152号、南部を254号、北部を406号が通る。

 市街地は、1583年(天正11)真田郷の豪族真田昌幸(まさゆき)が築城し、形成された城下町である。上田城跡(国指定史跡)は千曲川に臨む段丘崖(がい)上にある平城(ひらじろ)で、本丸には3棟の櫓(やぐら)が残り、他は公園になっている。関ヶ原の戦いでは、真田昌幸・幸村は西軍に属し、徳川秀忠(ひでただ)の西上を阻止したが、戦後は高野山(こうやさん)に流された。昌幸の長男真田信之(のぶゆき)は東軍に属し、城を継いだ。1622年(元和8)仙石(せんごく)氏、1706年(宝永3)松平氏とかわり明治に至った。近世はこの城下町と、城下を通る北国街道(ほっこくかいどう)の宿駅として発展した。明治以後は信州の代表的養蚕、製糸業の町になり、このため大正時代には、国立の上田蚕糸専門学校(現、信州大学繊維学部)が設置されている。第二次世界大戦後は製糸工場の建物を利用して首都圏からの工場疎開が多く、これを基盤に電機や輸送機械部品工業が発達した。2002年(平成14)には上田市産学官連携支援施設(AREC)が設置され、新製品・新技術の開発が行われている。製造品出荷額等は5925億円(2004年、従業員10人以上の工場)である。商業は上田盆地一帯を商圏とし、年間販売額も県下屈指の規模。郊外は市街から延びる主要道路に沿って大型スーパーマーケットが進出し、旧中心部は停滞傾向がみられる。市は活性化の方途として新幹線としなの鉄道が共用する上田駅を中心に再開発を進めているが、新市街地は国道18号や千曲川左岸の塩田平を通る国道143号線に沿って郊外へと拡張している。

 市街地の郊外には県下での代表的史跡が多い。市街の東方、国道18号に沿って奈良時代の信濃国分寺跡(しなのこくぶんじあと)(国指定史跡)、国分尼寺(にじ)跡があり、近くの八日(ようか)堂に室町中期に建立された和様・唐(から)様折衷の三重塔(国指定重要文化財)があり、例年1月7、8日の縁日には県内外からの人出が多い。千曲川の左岸塩田平は鎌倉幕府と縁が深い寺や史跡が多いため、「信州の鎌倉」といわれ、安楽(あんらく)寺、常楽(じょうらく)寺、北向(きたむき)観音、中禅(ちゅうぜん)寺、前山(ぜんさん)寺、竜光(りゅうこう)院、生島足島(いくしまたるしま)神社があり、とくに安楽寺には国宝で鎌倉時代の建立とされる八角三重塔があり、また中禅寺薬師堂(国指定重要文化財)や前山寺の未完成といわれる三重塔は見学者が多い。このほか、別所温泉や市立博物館、常楽寺美術館、信濃デッサン館、真田氏歴史館などがある。面積552.04平方キロメートル、人口15万4055(2020)。

[小林寛義]

『藤沢直枝著『上田市史』上下(1940・信濃毎日新聞社)』『『うえだ』(1968・上田市役所)』『上田市史編さん委員会編・刊『上田近代史』(1970)』『塩田文化財研究所編『信州の鎌倉塩田平とその周辺』(1992・信毎書籍出版センター)』


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百科事典マイペディア 「上田」の意味・わかりやすい解説

上田[市]【うえだ】

長野県中北部,千曲(ちくま)川流域の上田盆地及び周辺山地を占める市。1919年市制。中心市街は1583年真田昌幸の築城後,城下町,北国街道の宿場町として発達,近世上田紬(つむぎ)の産で知られた。北陸新幹線,第三セクターしなの鉄道,上田電鉄が通じ,1996年11月上信越自動車道が開通した昭和初期まで繭の集散,蚕種業が盛んであったが,現在は減少し,電気機器,輸送用機器,一般機器工業が急成長している。ハクサイ,キャベツ,リンゴ,クルミを多産。日本たばこ上田工場,信州大学繊維学部,上田城跡(史跡),信濃国分寺跡(史跡)がある。上田電鉄の終点に信州の鎌倉といわれる別所温泉があるほか,南部には内村温泉郷,北部にはスキーのメッカとして知られる菅平があるなど,観光資源に恵まれる。2006年3月小県郡真田町,丸子町,武石村を編入。552.04km2。15万9597人(2010)。
→関連項目小諸藩塩田

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世界大百科事典(旧版)内の上田の言及

【石盛】より

…石盛によって算定された石高に一定の率をかけて年貢・諸役が賦課されたので,石盛の高低は貢租量の多少に関係した。斗代の決定は,田畑の優劣によって上,中,下,下々などに位付けし,上田と見立てた場所2~3ヵ所で1坪(約3.3m2)ごとの坪刈りをし,もし坪当り平均籾1升(約1.8l)があれば1反(約991.7m2)で3石(約541.2l)あり,それを五分摺りすれば玄米1石5斗を得るから,1斗(約18l)の15倍ということで〈15の盛〉または〈1石5斗代〉といった。中田以下は二つ下りで中田は13,下田は11,下々田は9,畑は上畑が12,以下二つ下り,屋敷地は12の盛とするのが普通であった。…

※「上田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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