郡山城(読み)コオリヤマジョウ

デジタル大辞泉 「郡山城」の意味・読み・例文・類語

こおりやま‐じょう〔こほりやまジヤウ〕【郡山城】

奈良県大和郡山市にあった城。筒井順慶が天正8年(1580)より築城。同11年天守閣建造。犬伏城。

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共同通信ニュース用語解説 「郡山城」の解説

郡山城

奈良県大和郡山市に築かれた城で、3重の堀に囲まれている。織田信長後ろ盾に大和国を統一した筒井順慶つつい・じゅんけいが、1580年に入城。その後、豊臣政権期に秀吉の弟・秀長が城主となり、大和・和泉紀伊の100万石を治める本拠地として本格的に築城を始めた。石垣に寺院の礎石や石仏を多く転用していることで知られ、石垣にある「逆さ地蔵」が有名。秀長のほか、豊臣五奉行の一人の増田長盛、江戸時代には譜代大名が城主となった。

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精選版 日本国語大辞典 「郡山城」の意味・読み・例文・類語

こおりやま‐じょうこほりやまジャウ【郡山城】

  1. 奈良県大和郡山市にあった平山城。天正八年(一五八〇)筒井順慶が築城。同一三年豊臣秀長が入城。以後、増田・水野・松平・本多氏などが交代。享保九年(一七二四柳沢氏がはいり、明治維新に至る。石垣、堀が残存。犬伏城。

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改訂新版 世界大百科事典 「郡山城」の意味・わかりやすい解説

郡山城 (こおりやまじょう)

奈良県大和郡山市にある城。郡山付近には室町時代に郡山氏,薬園(やくおん)(矢興)氏らの在地領主が成長,もともと在地領主の居館であったとみられる。1506年(永正3),郡山氏も加わる大和筒井氏方西脇衆が郡山城に拠って細川政元の武将赤沢宗益の軍と戦い,敗れた。これが当城の初見。以後戦国時代を通じて,筒井方の拠点の城の一つとなった。80年(天正8)織田信長は当城以外の大和の城割りを命じ,当城を筒井順慶に与えた。順慶は大規模な修築に着手し,豊臣秀吉からも大和一国を安堵され,山崎の戦の翌83年には天守を築いて普請をひとまず完成させた。筒井氏の伊賀転封後,85年に豊臣秀長が入り,大和・紀伊・和泉100万石の大名にふさわしく修築した。紀州根来寺の山門を移して城門とし,また奈良中から石の供出を命じた。現在も石垣中に転用石材が多数見いだされる。ついで増田長盛が入城し,城下町全域を含む総構えを構築した。しかし長盛は関ヶ原の戦には西軍に属して改易され,天守も伏見城に移された。大坂の陣の際には筒井旧臣が当時の城番筒井定慶を襲い,城下を焼いた。1615年(元和1)水野勝成が入ってから城はしだいに復活し,1724年(享保9)柳沢吉里が入り,柳沢15万石の居城として整備し,幕末に及んだ。現在,柳沢神社や柳沢文庫がある本丸跡に石垣と堀などがのこされるほか,二の丸跡には郡山高校があり,市役所も旧大手門内にある。県指定史跡。
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日本の城がわかる事典 「郡山城」の解説

こおりやまじょう【郡山城】

奈良県大和郡山市城内町にあった平山城(ひらやまじろ)。戦国時代に筒井順慶(じゅんけい)が居城。1577年(天正5)、筒井順慶は松永久秀(ひさひで)を破って織田信長から大和国を与えられると、1580年(天正8)に本拠地を筒井城から郡山に移し、戦国城郭へと修築を開始した。1584年(天正12)、順慶が36歳の若さで没し、翌年、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の弟秀長(ひでなが)が大和・紀伊・和泉の太守として100万石で入封した。秀長はさらに大規模な修築を行い、城はほぼ完成した。秀長の死後、養子秀保が継いだが1595年(文禄4)に死去し、豊臣家は2代で断絶した。その後、増田長盛(ましたながもり)が郡山20万石で入封した。長盛は城の修築を続け、外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされる。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後、長盛は除封となり、水野勝成・松平忠明が入封し、近世城郭へと改修した。水野・松平・本多氏へと城主が替わり、1742年(享保9)に甲府城(山梨県甲府市)から柳沢吉保の子吉里が15万石で転封となった。以来、代々柳沢氏が居城し、明治維新を迎えた。明治になって城は取り壊されたが、石垣や堀の遺構が残っている。現在、城跡は公園化され、梅林門、月見櫓(つきみやぐら)、大手東隅櫓、多聞櫓が復元されて散策道が整備されている。JR関西本線郡山駅から徒歩15分。または近鉄橿原線近鉄郡山駅から徒歩7分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郡山城」の意味・わかりやすい解説

郡山城
こおりやまじょう

(1)南北朝期から戦国期にかけての山城(やまじろ)。広島県安芸高田(あきたかた)市吉田町吉田の郡山にあり、吉田郡山城という。安芸国吉田荘(しょう)の地頭から国人領主化し、さらに戦国大名となった毛利(もうり)氏の本城である。標高約400メートルの山頂に本丸を設け、南に二の丸・三の丸、西に姫丸などの曲輪(くるわ)があり、毛利元就(もとなり)はこの城を本拠として各地に転戦していった。1591年(天正19)元就の孫輝元(てるもと)のとき、広島に城を移して廃城となった。

(2)戦国期~江戸期の平山城(ひらやまじろ)。奈良県大和郡山(やまとこおりやま)市城内町にあり、普通、大和郡山城とよばれ、犬伏城ともいう。奈良盆地の中央に位置し、佐保川の支流、秋篠(あきしの)川と富雄(とみお)川の中間に突き出た形の台地の上に築かれた。織田信長から大和一国を与えられた筒井順慶(つついじゅんけい)が1578年(天正6)以降築城に着手、さらに85年豊臣(とよとみ)秀吉の弟秀長(ひでなが)が入城し、紀伊・和泉(いずみ)・大和100万石の大守にふさわしい城に大増改築を施した。その後、増田(ました)、水野、松平、本多と城主はかわり、1724年(享保9)柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が入り、歴代相継いで明治維新に至った。

[小和田哲男]

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事典・日本の観光資源 「郡山城」の解説

郡山城

(広島県安芸高田市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の郡山城の言及

【吉田[町]】より

…当町域一帯は平安時代末期に祇園社領吉田荘とされ,領家は花山院家,地頭は毛利氏であった。北東流する可愛川に多治比川が合流するあたり,沖積地にある吉田はその中心地で,南北朝期以降毛利氏はここに郡山(こおりやま)城を築いて本拠とし,1591年(天正19)毛利輝元が広島城に移るまで城下町として栄えた。江戸時代は山陰地方と広島城下を結ぶ雲石路の宿場で,可愛川舟運の港もあり,俗に〈吉田千軒〉と称される町であった。…

※「郡山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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