朝日日本歴史人物事典 「中原師遠」の解説
中原師遠
生年:延久2(1070)
平安後期の朝廷実務官僚。大外記師平の子。中原氏のなかで明経道を家学とする一流に属し,父祖代々の官である大外記を,白河院政期の11世紀末から30年余りにわたって勤めた。主計頭,図書頭,主殿頭,直講(明経道の教官),隠岐守を歴任。天永年間に設置された記録荘園券契所の寄人にも任じられている。局務(太政官外記の最上首)家のひとつとしての中原家は,師遠の子孫より出ている。その日記は散逸が甚だしいが,大治2(1127)年肥前国よりの鯨珠(鯨の体内から発見された玉)献上の顛末を記した『鯨珠記』は,全文が残存している。年中行事書『師遠年中行事』は,奥書の記載よりその著作とされているが,その確たる証拠はない。
(上杉和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報