デジタル大辞泉
「明経」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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みょう‐ぎょうミャウギャウ【明経】
- 〘 名詞 〙
- ① 経書(けいしょ)を学ぶこと。経書に通じること。
- [初出の実例]「延暦十七年三月十六日官符云。〈略〉而以二去宝亀七年一。遣唐使明経請益直講博士正六位上伊与部連家守」(出典:令集解(798)学)
- ② 令制の官人登用試験の一部門。秀才・進士・明法とならんで主要な四部門をなす。令に規定された経書のうち二経以上に通じるか否かを試み、合格者にはその成績に従って位階・官職が与えられる。
- [初出の実例]「凡秀才出身。上々第正八位上。〈略〉明経上々第正八位下」(出典:令義解(718)選叙)
- ③ 令制での官人の種別の一つ。登用試験の明経部門を経て官人となった者。
- [初出の実例]「明経。取下学通二二経以上一者上」(出典:令義解(718)選叙)
- ④ 令制の学制で、大学寮に置かれた課程の一つ。経書の専攻を内容とし、論語・孝経のほか、周易・尚書・三礼(さんらい)・詩経・左伝などを学習した。令の規定では、算・書の二課程に対する一般課程であったが、のち、紀伝・明法の二課程が置かれるに至ってこの称が与えられた。明経道。
- [初出の実例]「令条所レ載、学生四百人者、是明経之生徒也」(出典:類聚符宣抄‐九・長徳元年(995)八月一九日)
- ⑤ 「みょうぎょうはかせ(明経博士)」の略。
- [初出の実例]「明法則允亮、允正、明経則善澄、広澄、武士則満仲、満正」(出典:続本朝往生伝(1101‐04))
めい‐けい【明経】
- 〘 名詞 〙
- ① 唐代、中国で行なわれた官吏登用試験である科挙の一科。経書に精通しているかどうかを試験したもので、唐初には進士科とともに盛んであったが、進士科に比べて合格しやすかったことから、及第者が軽視され、昇進の道からも遠ざかったので次第に衰え、特に宋代に入ってからは進士科のみが行なわれるようになった。〔新唐書‐選挙志〕
- ② ⇒みょうぎょう(明経)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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明経
めいけい
中国の官吏登用試験,科挙の一科目
唐代の科挙では,秀才・進士・明経・明法などの科目が設けられた。やがて文才を試す進士に人気が集まるようになり,経書の暗記力を試す明経は次第に応募者が減り,北宋中期には廃止された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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普及版 字通
「明経」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の明経の言及
【考試】より
…つぎに中国の科挙にならった式部省による官人採用試験は,(1)[秀才]は博学高才のものを採り,方略試2条を試験して,上上~中上第の四等が及第,上上第は正八位上,上中第は正八位下に叙した。(2)明経(みようぎよう)は二経以上に通じたものを採る。経籍10条を試験し,上上~中上第が及第で,上上第は正八位下,上中第は従八位上を授けた。…
【科挙】より
…従来科挙は次代煬帝(ようだい)の大業年間(605‐618)に創始されたと考えられてきたが,これは誤りである。
[変遷]
唐は隋制を受け,科挙に秀才,進士,明経,明法その他の科目を設けた。秀才には政治上の意見などを問う策論を課するが,採点が厳しすぎて合格者がなくなり廃止された。…
※「明経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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