ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アナクレツス2世」の意味・わかりやすい解説
アナクレツス2世
アナクレツスにせい
Anacletus II
[没]1138.1.25. ローマ
教皇インノケンチウス2世(在位 1130~43)の対立教皇(在位 1130~38)。本名 Pietro Pierleoni。パリで学んだのちクリュニー修道院で修道士となり,1116年に枢機卿(→カーディナル)に叙任された。教皇ホノリウス2世(在位 1124~30)の死後,枢機卿の大多数がアナクレツス2世を支持したが,少数派はインノケンチウス2世を選出し,教会分裂を招いた。アナクレツス2世は大勢のローマ市民とフランジパニ家の支持を受け,またシチリア王ロジェール2世(在位 1130~54)と手を組んだ。一方,インノケンチウス2世はクレルボー修道院長ベルナルドゥスと神聖ローマ皇帝ロタール2世(3世。在位 1133~37),ビザンチン皇帝ヨハネス2世(在位 1118~43)らの支持を得た。1130年,フランス王ルイ6世(在位 1108~37)がエタンプでの会議を招集し,正統な教皇にインノケンチウス2世が選ばれた。1132年,ロタール2世はイタリアに進軍し,1137年にはロジェール2世が南イタリアから追放され,後ろだてを失ったアナクレツス2世は,この事態を乗り越えられぬまま死去した。
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