中岫村(読み)なかぐきむら

日本歴史地名大系 「中岫村」の解説

中岫村
なかぐきむら

[現在地名]天間林村中岫

七戸しちのへ川の左岸に位置し、東は花松はなまつ村、北は野崎のざき村、西は七戸村(現七戸町)に接する。藩政初期の七戸城代七戸隼人直時の家臣に中岫与次郎広定とみえる(「参考諸家系図」岩手県盛岡市中央公民館蔵)

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図にはみえず、天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に「中畑村」とあるのが当村であろうと考えられる。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には「高五十四石三斗余 郡分郷村高書上 三十二石八斗余 十一石八斗余 同 給地」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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