朝日日本歴史人物事典 「中川宇右衛門」の解説
中川宇右衛門
生年:文化2(1805)
幕末の長州(萩)藩士。名は徳以,通称は,はじめ登人,のち宇右衛門。大組士で高100石。用所役としてペリー来航時の相州警衛に当たる。遠近方,蔵元両人役,矢倉頭人などを歴任し,椋梨藤太の勢力に近いが,財務の実務役人として重用された。万延1(1860)年7月に罷免。文久3(1863)年藩が京都を追われてから,椋梨らと政府を弾劾し,隠居の処分をされる。翌年,長州征討軍の到来により,赦免され,遠近方などに復帰,いわゆる正義派多数を処刑した。慶応1(1865)年1月,再起した正義派に罷免され,閏5月,野山獄で賜死。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報