ネルソン(読み)ねるそん(英語表記)Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネルソン」の意味・わかりやすい解説

ネルソン(Horatio Nelson)
ねるそん
Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson
(1758―1805)

イギリスの海軍軍人。ノーフォーク州出身。12歳で海軍に入り、20歳で艦長を務めた。18世紀末よりフランス革命戦争とナポレオン戦争に従軍。1793年ナポリに派遣され、同地駐在イギリス大使夫人エマ・ハミルトンと知り合い、終生の情人となった。翌年コルシカ島のカルビ港攻略時に右眼を失い、1797年にはセント・ビンセント沖の海戦で、以後「ネルソン流」とよばれることになる戦法によりスペイン艦隊を完敗させたものの、カナリア群島攻撃で右腕を失い、隻眼(せきがん)隻手になった。翌1798年ナイル河口のアブキール湾でフランス艦隊を撃破して男爵に叙され、1799年地中海艦隊司令長官に任ぜられたが、翌年軍務を捨ててハミルトン夫人一行をウィーンに護送し、解任された。しかし、1801年呼び戻され、コペンハーゲンにデンマーク艦隊を襲撃して子爵を授けられた。1803年ふたたび地中海艦隊長官になり、1805年トラファルガーの海戦でフランス・スペイン連合艦隊を撃滅、ナポレオン1世のイギリス上陸の企図を粉砕したが、自らは「余は余の義務を果たせり」の語を最後に旗艦ビクトリー号上で戦死。ロンドンのセント・ポール大聖堂に葬られた。

[松村 赳]

『豊田穣著『炎の提督』(集英社文庫)』


ネルソン(George Nelson)
ねるそん
George Nelson
(1908―1986)

アメリカ工業デザイナーエール大学ローマのカトリック大学大学院で建築を学び、1932年にローマ賞を得てさらに2年間ヨーロッパで研究、36年に建築事務所を開く。『タイム』誌などの編集企画に加わったこともある。46年、家具のハーマン・ミラー社のデザイン計画に携わり、工業デザイナーとしての位置を確立させ、47年ニューヨークに建築・工業デザイン事務所を開いた。デザインや建築に関しての論考も幅広く、これらは『デザインの諸問題』にまとめられている。

[高見堅志郎]

『長狂平訳『デザインの諸問題』(1965・紀伊國屋書店)』


ネルソン(ニュージーランド)
ねるそん
Nelson

ニュージーランド南島北部、タスマン湾奥の港湾都市。人口4万1568(2001)。北側を除いて三方が丘陵で囲まれ、温暖な気候のため、「太陽の町」の異名をもつ。付近は果樹栽培と林業が盛んで、缶詰工場、木工場などがある。南島北部の海空交通の要衝。

[浅黄谷剛寛]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネルソン」の意味・わかりやすい解説

ネルソン
Nelson, Horatio, Viscount Nelson

[生]1758.9.29. ノーフォーク,バーナムソープ
[没]1805.10.21. トラファルガル岬沖
イギリスの海軍軍人。 1770年海軍に入り,79年海軍大佐に進級,84年西インド諸島方面警備のフリゲートの指揮官となった。フランス革命政府に対するイギリスの開戦とともに,『アガメムノン』号の艦長となり,7年有余にわたり対フランス戦争に参加。ツーロン,コルシカの占領,サンビセンテ岬沖での大勝など,地中海の諸作戦において戦果をあげた。 98年8月1日のナイルの戦いの勝利で国家的英雄となり,男爵に叙せられた。 1803年イギリス,フランス間の戦争再開後,地中海艦隊司令長官となり,フランス艦隊をツーロン港に2年間封鎖した。 05年トラファルガルの戦いでフランスとスペインの連合艦隊を全滅させたが,そのとき旗艦『ビクトリー』号の後甲板を歩行中,敵艦『ルドゥタブル』号の狙撃兵に射撃され戦死した。しかし,この戦いの勝利はネルソンの名声を不朽のものとし,これによりイギリスは,強大な海軍力をもつ世界唯一の国として制海権を確保した。

ネルソン
Nelson, Leonard

[生]1882.7.11. ベルリン
[没]1927.10.29. ゲッティンゲン
ドイツの批判哲学者,新フリース学派創始者。批判的方法によって哲学の科学的基礎を確立し,哲学的倫理学と権利の哲学,およびそれらの教育,政治への適応を体系的に展開するのが彼の主要な課題で,そのためにフリースの批判哲学によった。雑誌『続フリース派論集』 (1904~18) を編集。主著『倫理学原理講義』 Vorlesungen über die Grundlagen der Ethik (17~32) ,『デモクラシーとリーダーシップ』 Demokratie und Führerschaft (20) ,『哲学の進歩と後退,ヒュームとカントからヘーゲルとフリースまで』 Fortschritte und Rückschritte der Philosophie; von Hume und Kant bis Hegel und Fries (62) 。

ネルソン
Nelson, Samuel

[生]1792.11.10. ニューヨーク,ヘブロン
[没]1873.12.13. ニューヨーク,クーパーズタウン
アメリカの法律家。ニューヨーク州巡回裁判所判事 (1823~31) ,同州最高裁判所准判事 (31~37) ,同長官 (37~45) を経て,連邦最高裁判所准判事 (45~72) 。判決に政治を持込むことを避け,ドレッド・スコット判決の場合にも 1820年のミズーリ妥協の有効性に関する論議に反対した。南北戦争中は連邦支持の保守派民主党員。 71年合同調査委員としてアラバマ号事件の解決にあたった。

ネルソン
Nelson

ニュージーランドサウス島北部,タスマン湾に臨む都市。ネルソン・マールボロ地方の行政,商業の中心地。1842年ニュージーランド会社によって建設された。市名はイギリス海軍軍人ホレーショ・ネルソンにちなむ。気候は温暖で,保養地であるとともに,周辺では集約的な果樹,野菜の栽培が行なわれ,産業はこれらの農産物の加工が中心。漁業も盛ん。人口 4万6600(2012推計)。

ネルソン
Nelson

カナダ,ブリティシュコロンビア州南東部の都市。バンクーバーの東約 440kmに位置する。付近一帯は,1867年に金鉱が発見されてから発展した。 1907年には,州内で最初に市営水力発電を行なった。農林業や鉱業が卓越する地方の行政やサービスの中心地で,ノートルダム大学 (1950) や職業学校もある。鉄道修理工場,製材所,運輸・通信施設なども立地する。人口 8760 (1991) 。

ネルソン
Nelson, Thomas, Jr.

[生]1738.12.26. バージニア,ヨークタウン
[没]1789.1.4. バージニア,ハノーバー
アメリカの商人,政治家。アメリカ独立宣言署名者の一人。 1775~77年大陸会議代表。 81年 T.ジェファーソンの跡を継いでバージニア州知事となり,アメリカ独立戦争の遂行に私財をなげうって尽力した。

ネルソン
Nelson, George

[生]1908.5.29. コネティカット,ハートフォード
[没]1986.3.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの工業デザイナー。エール大学で建築を学び,のちに室内デザイン,家具デザインに転じた。建築と工業デザインの総合化を目指した。 1947年以後,家具会社ハーマン・ミラーの委嘱により,単純な構造による一連の家具を制作。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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