日本歴史地名大系 「中徳地」の解説 中徳地なかとくじ 山口県:佐波郡徳地町中徳地中世、佐波川の支流島地(しまじ)川流域の上得地(かみとくじ)とよばれた地のほぼ北部にあたる。上得地はのち上徳地・中徳地に分れ、中徳地の地は近世中期以降、巣山(すやま)(現都濃郡鹿野町)・高瀬(たかせ)(現新南陽市)・鯖河内(さばごうち)・串(くし)・山畑(やまはた)・島地・藤木(ふじき)の各村に分割されたと思われる。中徳地の名は、元亀二年(一五七一)一〇月六日付の柳沢靫負家文書(「閥閲録」所収)に「防州中徳地村」とみえるのが早く、慶長五年(一六〇〇)の検地帳には「中得地」とあり、石高二千六五七石七升、同一五年の検地帳では「中徳地」とあり、総石高五千九二四石余、うち田三四一町余で四千九二四石余、畠一九〇町余で五七九石余、百姓屋敷五四三、市屋敷三六、小物成一七〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by