中村恭平(読み)ナカムラ キョウヘイ

20世紀日本人名事典 「中村恭平」の解説

中村 恭平
ナカムラ キョウヘイ

明治〜昭和期の教育家 東京物理学校校長



生年
安政2年5月21日(1855年)

没年
昭和9(1934)年1月21日

出生地
三河国渥美郡田原町(愛知県)

学歴〔年〕
東京大学理学部物理学科〔明治11年〕卒

経歴
三河田原藩士の家に生まれる。明治11年東京大学を卒業して長崎師範学校教諭、文部省属、福島師範学校校長、新潟県尋常中学校校長などを経て、明治36年東京帝大助教授となり学生監兼務、40年学生監専任、大正4年同大の書記官となる。この間、明治14年中村精男らと東京物理学講習所を設立し、以来その維持・経営に当たり講師として授業を担当した。東京帝大退任後の昭和5年から、その後身の東京物理学校(現・東京理科大学)校長に就任し同校の発展に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村恭平」の解説

中村恭平 なかむら-きょうへい

1855-1934 明治-昭和時代前期の教育者
安政2年5月21日生まれ。長崎師範教諭,福島師範校長などをへて明治36年東京帝大助教授兼学生監,のち書記官となる。この間明治14年には中村精男(きよお)らと東京物理学講習所を設立。東京帝大退任後の昭和5年からその後身の東京物理学校(現東京理大)校長。昭和9年1月21日死去。80歳。三河(愛知県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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