デジタル大辞泉 「授業」の意味・読み・例文・類語
じゅ‐ぎょう〔‐ゲフ〕【授業】
[補説]作品名別項。→授業
[類語]講義・レクチャー・レッスン・ドリル
通常、学校において一定の単位でくぎられた時間(たとえば50分)に展開される各教科の教育活動をさす。しかし、道徳や特別活動で行われる教育活動も授業といわれている。したがって、それは学校で実務的に広く用いられる語といえる。
授業は、学校教育の要(かなめ)である。それは学校という制度的枠組みのなかで教育的意図のもとに計画され、組織され、展開される教授と学習を中心とした営みである。この営みは、一般に教師と教材と児童・生徒という三者関係において成立する。第一に教師と教材との関係において、教師は教材を研究し、準備し、提示する活動をする。第二に教材と児童・生徒との関係において、学習活動が展開する。学ぶ主体は児童・生徒であり、学ぶ本筋は教師からではなくて、教材からである。第三に児童・生徒と教師との教育的関係において、学習活動を進める児童・生徒に対して教師は支援し、方向づけ、指導する。授業は、基本的には教育的意図を実現することを軸にして、このような三者の相互媒介的な作用において成立する。
[長谷川榮]
授業は、内容的には変化するが、形式的には永続する要因からなる構造をもっている。この構造は決定要因と条件要因とに分けられる。
[長谷川榮]
決定要因は、授業において教師が決定する要因をさす。主要なものをあげると、次の四つが指摘できる。第一は、授業で目ざす目標である。目標は焦点化され、具体的に明細化されているのがよい。第二は、授業のテーマ内容に基づいて構成される教材である。教材の質は授業の成否に影響する。第三は、児童・生徒の学習活動を組織し展開する教授の方法である。教師の児童・生徒へのかかわり方や働きかけ方がここで問われる。第四は、教授と学習の活動に用いる教具や学習用具である。この種の器具の開発は目覚ましいが、使いこなすことがたいせつである。以上の4要因は、授業の目標を軸にして相互依存の関係にある。
[長谷川榮]
授業は、教授と学習の活動が目標へ到達する道筋をとって時間的に進行する。この道筋でどんな歩みをとるとよいかと問うと、授業過程の問題が生じる。
ヘルバルト学派の五段階教授法が採用された際に、どんな教科や教材にも一律に適用され、その授業過程は固定化された。今日では、授業過程の段階は一律的で固定的なものではなくて、多様で弾力的なものとして認められている。
授業を計画して展開する限りでは、授業展開の基本的道筋とその段階順序を基礎としなければならない。この道筋と段階順序は、児童・生徒の学習過程から発想するのが多い。まず児童・生徒の認識や思考の過程を明らかにし、それからそれに対応する指導ないし教授の働きを設定しようとするのである。上述の五段階教授法の予備・提示・比較・概括・応用の段階にしても、ドイツの教育学者ラインWilhelm Rein(1847―1929)によると、直観から概念へ進む認識過程(既知のものを介して新しいものを同化する類化過程と、一般的命題を導き出す抽象過程を基礎とする)に基づいてたてられている。したがって本来は、概念形成が目ざされるときにだけ、五段階教授法が用いられるはずであったのである。
授業過程の段階をモデル化したものは、歴史的には数多いが、基本的には2種に分けられる。一つは、児童・生徒を学習の主体にし、その能力の育成を中心にして活動の順序を考えるものである。その典型は問題解決学習の過程である。それは反省的思考能力の育成を目ざして、真の経験場面での問題解決の段階を設けるものである。もう一つは、科学に裏づけられた内容の論理的組織を軸にし、その内容の習得をねらって、その順序を考えるものである。問題解決学習に対決した系統学習はこの種の典型である。
[長谷川榮]
『筑波大学教育学研究会編『現代教育学の基礎』(1982・ぎょうせい)』
トロウ(Trow)理論における大学のユニバーサル化が進行し,1990年頃からアメリカ合衆国の高等教育における授業のあり方(形態)が大きく変容し,それは世界に広まっている。一方で,授業の期間や時間には大きな変化はない。
[授業の形態]
大学設置基準25条は,授業を「講義,演習,実験,実習若しくは実技のいずれかにより又はこれらの併用により行うものとする」と定義している。現在課題となっているのは講義の形態である。長い間使われてきた講義形式は効率的な教育方法ではあるが,学生の学習は単に聞くだけの受動的学習におちいりやすい。そこで教員がしゃべるだけの一方的な講義から,学生も講義に参加する双方向授業が推奨されるようになった。グループ学習をベースにした,PBL(Problem Based Learning,問題解決型学習)やチュートリアル形式の授業である。それは,学生の能動的学習を促すアクティブ・ラーニングと呼ばれるようになり,最近では反転学習が推奨されるようになってきた。すなわち,従来講義で行っていたテキストの解釈は自宅で行い,宿題とした問題の解決や発表の準備を授業で行うものである。このような新しい学習形態は,LMS(ラーニング・マネジメント・システム)のようなe-ラーニングシステムやクリッカーのような即時集計システム,TA(ティーチング・アシスタント)の活用などの方略によって可能となり,実行されるようになった。
[授業期間]
日本の多くの大学では2学期制を採用している。それ以外の3学期制,4学期制の大学はきわめて少ない。大学設置基準22条には「一年間の授業を行う期間は,定期試験等の期間を含め,三十五週にわたることを原則とする」とだけ定められており,学期の規定はない。ただし23条で「各授業科目の授業は,十週又は十五週にわたる期間を単位として行うものとする。ただし,教育上必要があり,かつ,十分な教育効果をあげることができると認められる場合は,この限りでない」として,緩やかな規制をしている。アメリカでは3学期制から5学期制までいろいろなケースがあるが,一般にそのうちの夏学期は集中講義や留学生対象のサマースクールとして使われるため,実質上は2学期制から4学期制であり,なかでも2学期制が多い。ただし,開始時期が日本の場合4月だが,アメリカでは9月,韓国では3月であるなど国によって異なる。現在,大学のグローバル化をめざし,外国人留学生を受け入れるための秋入学(9月入学)の導入や,日本人留学生を夏期に派遣するための4学期制の導入が検討されている。
[授業時間]
大学設置基準21条に「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし,授業の方法に応じ,当該授業による教育効果,授業時間外に必要な学修等を考慮して,次の基準により単位数を計算するものとする」とある。また講義および演習については「十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする」,実験,実習,実技については「三十時間から四十五時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。ただし,芸術等の分野における個人指導による実技の授業については,大学が定める時間の授業をもつて一単位とすることができる」としている。以上二つの併用と卒業論文,卒業研究,卒業制作等の授業科目については,大学の裁量による規定が認められている。実際には単位の定義は学部ごとに規定されている。また,1回の授業時間に関する規定はない。
第2次世界大戦後に設定された上記の単位制度では,学生の学習時間45時間をもって1単位(90時間で2単位)としている。1単位は当時の1週間の労働時間(8時間×5日+5時間)である。45時間の内訳は15時間の予習,15時間の授業,15時間の復習である。日本の多くの大学では90分の授業を1週に1回行い,15週繰り返して2単位(実験・実習,体育実技,外国語などは1単位)としている。この場合,計60時間の予習,復習についても実施するよう指導を行わなければならない。アメリカの大学では,1回60分で週2~3回講義をすることが多い。また時間割には休憩時間がないが,実際には10分程度残して講義を終えるので,50分が講義時間となる。
近年推奨されている「単位の実質化」とは,2単位授業の学習時間を合計90時間にすることである。1週間に10科目あれば,週40時間の自習時間が期待される。ところが,アメリカの大学生の週あたりの学習時間が平13~18時間であるのに対して,日本の学生は3.5時間程度である。世界的な授業形態の変化に合わせて,さらなる自習時間の増加が期待されている。
著者: 細川敏幸
参考文献: マーチン・トロウ著,天野郁夫・喜多村和之訳『高学歴社会の大学』東京大学出版会,1976.
参考文献: 細川敏幸,西森敏之,山田邦雅,安藤厚「学期制の現状と移行の課題―4学期制研究会報告」,北海道大学高等教育推進機構『高等教育ジャーナル―高等教育と生涯学習』19,2012.
参考文献: NSSE, Annual Results 2012: http://nsse. indiana. edu/nsse_2012_results/
参考文献: 総務省統計局編『社会生活基本調査報告 平成23年』総務省統計局,2013.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
字通「授」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業La leçon》(1951)や《椅子Les chaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。…
※「授業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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