朝日日本歴史人物事典 「中根香亭」の解説
中根香亭
生年:天保10.2.12(1839.3.26)
幕末から明治の漢学者。旧幕臣。名は淑,字君艾,初名造酒,香亭と号す。本姓曾根氏。江戸生まれ。母は朝川善庵の娘。幼より武技を好むが,養父の姉の影響で読書を修める。徒目付として長州征討に参加,その後幕府陸軍差図役勤方に転任。鳥羽・伏見の戦を経て紀州に敗走,帰府して榎本武揚らに従い美加保艦で北走しようとしたが座礁,維新を迎え駿河に赴く。新政府からは軍武地勢の才を求められ沼津兵学校,陸軍参謀局に出仕。陸軍少佐。辞職ののち再び文部省御用掛奏任官に奉職するもまた数年にして辞め,以後は自適の文筆生活に入る。妻子に先立たれ,晩年は静岡県興津に暮らした。地歴国漢にわたり著書は多く,兵学校時代の著書『兵要日本地理小誌』は彼の本領が発揮されたものだが,旧幕府を尊奉した表現のために当局と対立する。『日本文典』(1876)は大槻文彦にも影響を与えた先駆的業績。詩文はもとより,謡曲や軍記の注釈,当代文人連中が実名で登場する小説『天王寺大懺悔』など縦横の健筆ぶりで,中でも近世文壇佳話集『香亭雅談』はよく読まれた。<著作>『香亭蔵草』,新保磐次編『香亭遺文』
(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報