中殿屋敷跡(読み)なかどんやしきあと

日本歴史地名大系 「中殿屋敷跡」の解説

中殿屋敷跡
なかどんやしきあと

[現在地名]桃山町調月 城の壇

調月つかつき東部札場垣内ふだばかいとの東方台地にある。現在この一帯畑地続きの小高い丘陵で果樹園となっているが、幅六メートル、長さ三〇メートルの堀が南北にめぐらされ、蓮池となっている。中殿屋敷は俚諺に「高野潰れても中殿潰すな」とはやされたこの地方きっての大家であった中家(調月氏)の屋敷で、「続風土記」に「別家岡孫太郎蔵る所の明応六年の文書に、調月平左衛門といふ人九州より初めて此地に来るとあり、高野山応其上人俗体の時娘あり、当家へ嫁せしむ故に応其より此地の山林を与へ、今に城ノ壇居住の地方二町許免許地にて城ノ壇といふ、名も中の屋敷あるを以て名つくるか」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む