日本歴史地名大系 「調月村」の解説 調月村つかつきむら 和歌山県:那賀郡桃山町調月村[現在地名]桃山町調月貴志(きし)川の東岸、紀ノ川と貴志川の合流点の南東に南北に細長く位置し、北は紀ノ川、東は市場(いちば)・上野(うえの)の両村、西は丸栖(まるす)・前田(まえだ)・貴志北(きしきた)(現貴志川町)の村々に接する。村域内城の壇(じようのだん)の丘陵地周辺から石器時代の石鏃や弥生時代の土器片が出土し、最上(もがみ)遺跡とよんでいる。また寺前(てらまえ)には条里制の遺構が検出される。古くは山城法成寺領吉仲(よしなか)庄に含まれた地であるが、鎌倉時代後期には高野山領調月庄として分離した。しかし元仁二年(一二二五)のものとみられる定円書状(神護寺文書)に「墓つきの庄」とみえる。調月の地名について「続風土記」は「当村は調月といふ人初めて開きし地なり、故に村名とす」と記す。この調月という人物は、欽明天皇の皇子吉仲麻呂がこの地に住んだ時の従者とも、また聖徳太子に仕えた紀男麿宿禰調月という人物で、この地に来て耕作の法を村民に教えたとも伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by