中永村(読み)ちゆうえいむら

日本歴史地名大系 「中永村」の解説

中永村
ちゆうえいむら

[現在地名]三島町中永

西は標高三四五メートルの小木おぎ城跡(現出雲崎町)を中心とする丘陵が南北に延び、北・東とも一六〇メートル以上の丘陵地、北流する小木城おぎじよう川と東流する中永川の合流点左岸と、それよりやや西側の中永川左岸に村が開ける。東は上条じようじよう村、南東蓮花寺れんげじ村。正保国絵図に高六二石余とみえ与板藩領と高田藩領。与板藩領は十二社のある村の西側、東側が高田藩領であった。与板藩領中永村は元和六年(一六二〇)長岡藩領となり、寛永一一年(一六三四)与板藩領、元禄一五年(一七〇二)幕府領、宝永二年(一七〇五)与板藩領に復し幕末を迎える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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