中津藩小畠代官所跡(読み)なかつはんこばたけだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「中津藩小畠代官所跡」の解説

中津藩小畠代官所跡
なかつはんこばたけだいかんしよあと

[現在地名]三和町小畠 宮谷

小畠集落の中心宮谷みやだににあり、北に固屋こや城跡、西に亀山かめやま八幡神社がある。元禄一一年(一六九八)福山藩水野氏断絶後は幕府領となっていた神石郡二二村、甲奴こうぬ郡一二村、安那やすな郡二村の計三六村二万石が、享保二年(一七一七)豊前中津藩領となり、その支配のため代官所が当地に置かれた。初代代官は父木野ちぢきの村の庄屋であった村田知賢で、以後一四代にわたって代官職を世襲、また八代知広の弟より別家をなし、これも五代にわたって代官を勤めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 甲奴 石柱 亀山

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む