中立売通
なかたちうりどおり
正親町通ともいう。平安京開設当初に開かれた正親町小路にほぼ該当。「坊目誌」は「東は烏丸に起り、西は千本西入に至る。明治二十六年西北へ斜に七本松に新道を開く。(中略)天正以来、烏丸以東は皇宮地たるを以て閉塞す。大宮以西は荒廃年久し。後聚楽第地となり、元和元年再開す」と記す。
平安京開設時の小路についての規定は「延喜式」左右京職に詳しいが、それを解説して「京の水」は「南側・北側とも垣ありて厚サ五尺也。これを半分道幅にかけて二尺五寸とし、垣より溝までを犬行といふて、をのをの三尺つゝ。溝の広サ三尺つゝ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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