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中臣大嶋 なかとみのおおしま

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朝日日本歴史人物事典の解説

中臣大嶋

没年:持統7.3.11?(693.4.21)
生年:生年不詳
7世紀後半の官人。渠毎(許米)の子。藤原朝臣姓で記される例もある。天武10(681)年帝紀,上古諸事を記定し,自ら筆を執って記録したという。同12年伊勢王らと共に天下を巡行して諸国の境界を定め,朱鳥1(686)年来日した新羅使を饗するために筑紫(福岡県)に赴くなど,内政・外交両面で活躍している。同年天武天皇の殯宮で兵政官の事を誄したとあり,また持統4(690)年持統天皇即位の際には神祇伯として天神寿詞を読んだといい,律令国家確立期にあって,政祭両面で重要な役割を果たしていた。また草壁皇子のために,粟原寺(跡地は桜井市)の建立を発願するなど仏教にも理解を示すほか,『懐風藻』に漢詩2首を残す文人でもあった。

(森公章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なかとみのおおしま【中臣大嶋】

?‐693?(持統7?)
天武・持統朝の高官。藤原大嶋ともいう。鎌足の従弟渠毎(こめ)の子で中臣金(くがね)の甥。兄の僧安達(あんだち)は653年(白雉4)遣唐使とともに渡唐,以後不明。大嶋は鎌足,金の後を継いで朝廷で中臣氏を代表する地位につき,681年(天武10)には帝紀と上古諸事の記定に,683年には諸国境界の確定に,686年の天武病没の際は誄(しのびごと)(弔辞)奉進にそれぞれ参加,持統朝でも中納言(《懐風藻》では大納言),また神祇官の長官として祭祀を主宰した。

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