日本大百科全書(ニッポニカ) 「中臣部」の意味・わかりやすい解説
中臣部
なかとみべ
中臣氏の部曲(かきべ)。『日本書紀』天智(てんじ)天皇10年(671)三月条に「常陸(ひたち)国、中臣部若子貢(たてまつ)る」とある。『常陸国風土記(ふどき)』には、己酉(つちのととり)年(649年=大化5)「大乙上中臣□子、大乙下中臣部兎子(うのこ)」らが天(あめ)の大神(おおかみ)の社(やしろ)(鹿島(かしま)神宮の祭神)、坂戸(さかと)社、沼尾(ぬまお)社(両社とも鹿島神宮の摂社)をあわせて香島の天の大神といい、この神の鎮座する神郡香島郡の建郡を伝え、また746年(天平18)3月に常陸国鹿島郡の中臣部20戸が中臣鹿島連(むらじ)と改氏姓していることからも(続日本紀(しょくにほんぎ))、常陸の中臣部は中臣氏の斎(いつ)く鹿島神宮の祭祀(さいし)に携わっていた部曲であることがわかる。なお中臣部は常陸のほか美濃(みの)、下総(しもうさ)、下野(しもつけ)、越前(えちぜん)、越中(えっちゅう)、筑前(ちくぜん)、豊前(ぶぜん)にも設定されていた。
[前川明久]