日本歴史地名大系 「中讃井町」の解説 中讃井町なかさないまち 山口県:山口市山口町中讃井町[現在地名]山口市中園(なかぞの)町・三和(さんわ)町の各過半部および旭通(あさひどお)り一丁目・中央(ちゆうおう)五丁目の各一部石州街道に沿った町で、東は田(た)町、西は袖解(そでとき)橋まで。山口町最西端の町である。山口乗福寺文書の観応三年(一三五二)八月一九日付寄進状に「讃井原」とみえ、この辺りの地が大内弘世から乗福(じようふく)寺に寄進されている。また同文書の毛利輝元時代のものにも「寺領讃井所々河成歴々有之」とある。貞治四年(一三六五)の防府(ほうふ)天満宮重造棟札に「讃井彦次郎入道信覚」の名がみえ、南北朝期に地名を負った大内氏の家臣讃井一族がこの地に住したものと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by