日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
中部ヨーロッパ相互兵力削減交渉
ちゅうぶよーろっぱそうごへいりょくさくげんこうしょう
Mutual Reduction of Forces and Armaments
ヨーロッパの緊張緩和を背景に、東西の軍事力が集中する中部ヨーロッパ地域の兵力削減を目ざした交渉。1973年10月に始まり、当時の西ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからなる中部ヨーロッパ地域の地上軍および空軍兵力の上限設定・削減を目的として行われ、MRFAと略称された(アメリカ政府はMBFR、Mutual and Balanced Force Reductionを使用)。上記7か国のほかに、同地域に兵力を展開していた旧ソ連、アメリカ、イギリス、カナダが直接参加国となり、そのほかに西側5か国、東側3か国がオブザーバーとして参加した。幾度かの中断を挟んで交渉が続けられたが、結局成果は得られず、1989年に閉幕した。この交渉はその後、NATO(ナトー)とワルシャワ条約機構間の通常兵器を対象とする軍縮交渉に引き継がれ、冷戦終結、東ヨーロッパ社会主義体制の崩壊後の1990年11月19日、ヨーロッパ通常戦力条約の調印につながった。
[納家政嗣]