中間庄・二宮庄(読み)なかまのしよう・にのみやのしよう

日本歴史地名大系 「中間庄・二宮庄」の解説

中間庄・二宮庄
なかまのしよう・にのみやのしよう

佐陀さだ川下流東岸の現淀江よどえ町中間を遺称地とする庄園。立庄の時期や領主等は不明。天文二年(一五三三)九月一五日の山名豊興寄進状(伯耆志)によれば、「中間庄之内小鴨弾正忠跡」の二五石の地が久坂の瑞仙くさかのずいせん寺に寄進されている。同一一年一〇月九日には「会見郡中間庄久坂村」のうちの同寺領七〇石に対する諸役万雑公事が免除された(「山名豊興書下」同書)。中間庄の庄域が佐陀川上流部の久坂村を含んでいたことがわかり、現淀江町西部から米子市東部の佐陀川右岸地域に広がっていたと推定される。一方、天正一三年(一五八五)五月一六日付の瑞仙寺旧蔵の鐘銘(伯耆志)には「西伯州会見郡二宮之庄久坂山瑞仙寺」とあることから、二宮庄の庄域が中間庄と重なっていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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