瑞仙寺(読み)ずいせんじ

日本歴史地名大系 「瑞仙寺」の解説

瑞仙寺
ずいせんじ

[現在地名]米子市日下

日下くさか集落の南方にある。久坂山と号し、曹洞宗。本尊は聖観音てら町に同一山号・同一名の寺があることから、久坂くさか(日下)瑞仙寺と通称される。瑞泉寺と記す史料もある。明治九年(一八七六)以降に筆記された寺蔵の由緒書によれば、天仁元年(一一〇八)平正盛によって出雲国で誅殺された源義親の菩提を弔うため、久坂の南東の山地に一寺が建立されたといい、大山支配下の天台宗寺院であったが、やがて衰微したという。永享一一年(一四三九)土豪真野氏により能登総持寺から竺翁仲仙が迎えられ、曹洞宗寺院として再興、現在地に移されたと伝える。仲仙は天海希曇を開山として久坂に創建された円福えんぷく寺の二代目住持といい、当寺も初め円福寺に属し瑞仙院と称した(伯耆志)。永享一一年九月二八日の山名教之書下(瑞仙寺文書、以下とくに断らない限りは同文書)に「久坂村円福寺并瑞仙院領」とみえ、寛正元年(一四六〇)二月吉日の真野重成・同宗鎮・瑞仙寺竺翁連署証状には瑞仙寺とあるから、この間に寺に改められたのであろう。なお寺名は開基と伝える山名熙之の法名慈光院瑞賢の瑞と竺翁仲仙の仙をとって付けられたという(延宝五年上訴状)

永享一一年以降守護山名氏やその一族により、寺領の段銭・棟別銭・大小諸公事および寺領中の諸役人役などを免除する書下がたびたび与えられ(応仁三年正月二〇日山名豊之書下など)、文明五年(一四七三)一一月二一日には山名之弘から、同九年閏正月には山名元之から禁制が下された。


瑞仙寺
ずいせんじ

[現在地名]相川町中寺町

南沢みなみざわ渓谷を登った町部中央部の高台にある。日蓮宗、光栄山と号する。古くは京都妙覚寺末。のち大野おおの(現新穂村)根本こんぽん寺末。「相川町誌」によると、寛永元年(一六二四)山師味方家政が、亡父味方但馬家重の菩提寺として建てたといわれ、山号・寺号とも但馬の法名瑞仙院殿日栄による。但馬はもと福島正則に仕え、関ヶ原の戦功によって五〇〇石の知行を得たが、故あって武門を捨て、佐渡に渡って鉱山を稼ぐに至ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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