日本歴史地名大系 「丸ヶ口村」の解説 丸ヶ口村まるがくちむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉南区丸ヶ口村[現在地名]小倉南区横代(よこしろ)横代村と同じ谷筋の奥、貫(ぬき)山系の北麓に位置する。中世にみえる福相寺(ふくそうじ)村は村内で、永享三年(一四三一)一一月の某安世施行状(永弘文書/大分県史料四)によれば、規矩(きく)郡惣公文志井民部丞に対し「規矩郡福相寺村」内の田地一〇町を豊後国国東(くにさき)郡の在地領主都甲大膳亮方代官に打渡すよう命じている。おそらく大友氏の支配下に入っていたのだろう。鷲(わし)ヶ城(じよう)山頂の福相寺城跡は長野(ながの)城の支城とされる。元和八年人畜改帳に丸ヶ口村とみえ、高九一石余、家数二五、人数六九(うち百姓三・名子八・坊主一・山ノ口番一)、牛九・馬三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by