横代村(読み)よこしろむら

日本歴史地名大系 「横代村」の解説

横代村
よこしろむら

[現在地名]小倉南区横代東町よこしろひがしまち一―五丁目・横代南町よこしろみなみまち一―五丁目・横代北町よこしろきたまち一―五丁目・横代葉山よこしろはやままいおか一―四丁目・同六丁目・長野ながの一―二丁目

蜷田になた村の南、ぬき山系の北麓にあたり、北部を竹馬ちくま川が東流する。「宇佐大鏡」に国々散在常見名田の一所として「横代別符」がみえ、国半不輸のときは「五十四丁 重正卅十丁 恒松十二丁 末丸十二丁」より宇佐宮加地子を納めたという。戦国期、毛利元就宛年未詳二月一五日の大内義興書状(毛利家文書/大日本古文書八―一)の押紙に「豊前横代周防高尾以上三ケ所百石之地給候御書也」とみえ、年月日未詳の宇佐宮不知行地給主注文案(到津文書/大分県史料二四)には「横代別符 芸州 毛利方給」とある。


横代村
よこだいむら

[現在地名]酒田市横代

新井田にいだ川上流左岸、手蔵田てぐらだ村の北東にあり、南側を矢流やだれ川が西流する。南北朝時代、狩川かりかわ(現東田川郡立川町)の城主斎藤新九郎俊氏の所領があった川北の服部横代村(「狩川大堰由来記」余目町史)を当地とする説がある。室町時代には豪族の横大殿が居住し一二〇貫を領したと伝える。慶長一四年(一六〇九)の年貢高一〇四石余、ほかにかめさき八幡領、天正てんしよう寺領などがある(「年貢定書」飽海郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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