丸尾村(読み)まるおむら

日本歴史地名大系 「丸尾村」の解説

丸尾村
まるおむら

[現在地名]東伯町丸尾

ほう村の北、あらい川河口右岸に位置し、北は日本海に面する。集落の北側を伯耆街道東西に通り、元禄国絵図には村域内に一里塚がみえる。拝領高は二七九石余、本免は四ツ五分。藪役銀一一匁を課されており(藩史)、津田氏の給地であった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高二九三石余、竈数三五。文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)では家数三四・人数一五四、元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数三五、うち余業二(紺屋・黒鍬師各一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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