丹波兼康(読み)たんばのかねやす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹波兼康」の意味・わかりやすい解説

丹波兼康
たんばのかねやす

生没年不詳。医家。平安中期の医家丹波康頼(やすより)の後裔(こうえい)である。康頼の子孫は代々侍医として朝廷に仕え、典薬頭(てんやくのかみ)あるいは施薬院使(せやくいんし)を兼ねた。兼康室町時代の人とみられ、侍医として朝廷に仕えて、典薬頭を勤め、口科を専門としたと伝えられている。徳川幕府に口科の医官として知られた兼康家は丹波兼康の直系である。同じく徳川幕府の口科の医官金保(かねやす)家は丹波兼康の後裔の頼元(よりもと)の養子の玄泰(はるやす)の子孫であり、それより5代目の元孝(もとたか)は本道を修めて奥医師となり将軍吉宗(よしむね)に重用された。のちに多紀(たき)と改姓

[本間邦則]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android