平安時代の医師。丹波国(京都府)の人。先祖は後漢(ごかん)の霊帝といい、霊帝5世の孫、阿知王(あちのおみ)が応神(おうじん)天皇の時代に渡来し帰化した。医術に優れ、認められて丹波宿禰(すくね)の姓を下賜された。昇進して要職を歴任したが、彼の名は『医心方(いしんほう)』によって不動のものとなった。982年(天元5)に勅を受け、隋(ずい)・唐の医書から引用して『医心方』全30巻をまとめ、984年(永観2)天皇に献上した。この書は現存する日本最古の医書であり、今日すでに中国で失われた医書も含まれた貴重な文献であり、草薬には和名を、疾病には和訓を施すなど、中国医学の日本化の跡がうかがわれる。
[山根信子]
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…この2書が日本の医書としては最古のものである。次いで,982年(天元5)の丹波康頼(たんばのやすより)による《医心方》30巻がある。その内容は,隋時代の医書《諸病源候論》を基本とし,隋・唐の医書約100点を参照している。…
…その結果,貴族が実権を握った奈良・平安期を通じ,官医の活躍がめざましくなる。その代表格が丹波康頼で,彼が984年(永観2)に著した隋・唐医学の集大成ともいうべき《医心方》は,古代から中世にかけて活躍した官医たちの基本的な医療教本とされた。 しかし,これらの官医は官人の診療をもっぱらとしていたから,一般の救療事業は僧医にゆだねられていた。…
…現存する日本最古の医書。982年(天元5)に鍼博士の丹波康頼(たんばのやすより)が隋・唐の医書,方術書等百数十巻を渉猟し約3年の歳月をかけて撰述した全30巻の医学全書(内科,小児科,産婦人科,養生,房内等を含む)で,984年(永観2)に円融天皇に奏進された。以来,戦国時代に正親町天皇から典薬頭半井瑞策(なからいずいさく)に下賜されるまで康頼自筆の正本は宮中に秘蔵されてきた。…
※「丹波康頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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