デジタル大辞泉
「丹波康頼」の意味・読み・例文・類語
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たんば‐の‐やすより【丹波康頼】
- 平安時代の医者。丹波の人。医術にすぐれ、丹波宿禰(すくね)の姓を賜わって、鍼博士・丹波介となった。現存最古の医書「医心方」三〇巻を編む。延喜一二~長徳元年(九一二‐九九五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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丹波康頼
たんばのやすより
(912―995)
平安時代の医師。丹波国(京都府)の人。先祖は後漢(ごかん)の霊帝といい、霊帝5世の孫、阿知王(あちのおみ)が応神(おうじん)天皇の時代に渡来し帰化した。医術に優れ、認められて丹波宿禰(すくね)の姓を下賜された。昇進して要職を歴任したが、彼の名は『医心方(いしんほう)』によって不動のものとなった。982年(天元5)に勅を受け、隋(ずい)・唐の医書から引用して『医心方』全30巻をまとめ、984年(永観2)天皇に献上した。この書は現存する日本最古の医書であり、今日すでに中国で失われた医書も含まれた貴重な文献であり、草薬には和名を、疾病には和訓を施すなど、中国医学の日本化の跡がうかがわれる。
[山根信子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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丹波康頼 (たんばのやすより)
生没年:912-995(延喜12-長徳1)
平安中期の医家。医系丹波氏の祖。渡来人系子孫の別家出身で丹波国天田(一説に矢田)に住したので丹波宿禰の姓を賜った。医術に長じ累進して鍼博士・左衛門佐兼丹波介・従五位上になった。984年(永観2)に3年がかりで撰述した《医心方(いしんぽう)》30巻を天皇に献上し,医家としての丹波氏の地位を固め,丹波氏は代々和気氏と並んで典薬頭を世襲するようになった。
執筆者:宗田 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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丹波康頼
たんばのやすより
[生]延喜12(912).丹波
[没]長徳1(995)
平安時代の医者。先祖は後漢の霊帝で,その子孫の高貴王が応神天皇のときに帰化した。康頼はそれから数えて7代目で,丹波宿禰の姓を賜わり,鍼博士,左衛門佐兼丹波介となった。永観2 (984) 年隋の栄元方の『病源候論』など中国,朝鮮の医書 100種以上をもとに『医心方』 (30巻) を著わし,円融天皇に献上した。これは現存する日本最古の医学書である。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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丹波康頼【たんばのやすより】
平安時代の医家。先祖は中国の渡来人で後漢の霊帝の子孫と称するも真実は不明。ただし渡来人子孫の別家出身で丹波国に住し,丹波宿禰(すくね)の姓を与えられ,官は針博士,丹波介,左衛門佐に至った。《医心方》を編し984年朝廷に献じた。曾孫雅忠(まさただ)〔1021-1088〕も名医で《医心方》から抜粋して《医略抄》を著した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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丹波康頼 たんばの-やすより
912-995 平安時代中期の医師。
延喜(えんぎ)12年生まれ。丹波天田郡(京都府)の人。祖先は漢(中国)からの渡来人とされる。医術にすぐれ丹波宿禰(すくね)の姓をあたえられ,医家丹波氏の祖となる。針博士,医博士,左衛門佐(さえもんのすけ)兼丹波介などをつとめた。天元5年(982)現存する最古の医書「医心方」30巻を完成させた。長徳元年4月19日死去。84歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の丹波康頼の言及
【医学】より
…この2書が日本の医書としては最古のものである。次いで,982年(天元5)の[丹波康頼](たんばのやすより)による《[医心方]》30巻がある。その内容は,隋時代の医書《[諸病源候論]》を基本とし,隋・唐の医書約100点を参照している。…
【医者】より
…その結果,貴族が実権を握った奈良・平安期を通じ,官医の活躍がめざましくなる。その代表格が[丹波康頼]で,彼が984年(永観2)に著した隋・唐医学の集大成ともいうべき《[医心方]》は,古代から中世にかけて活躍した官医たちの基本的な医療教本とされた。 しかし,これらの官医は官人の診療をもっぱらとしていたから,一般の救療事業は僧医にゆだねられていた。…
【医心方】より
…現存する日本最古の医書。982年(天元5)に鍼博士の[丹波康頼](たんばのやすより)が隋・唐の医書,方術書等百数十巻を渉猟し約3年の歳月をかけて撰述した全30巻の医学全書(内科,小児科,産婦人科,養生,房内等を含む)で,984年(永観2)に円融天皇に奏進された。以来,戦国時代に正親町天皇から典薬頭半井瑞策(なからいずいさく)に下賜されるまで康頼自筆の正本は宮中に秘蔵されてきた。…
※「丹波康頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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