日本歴史地名大系 「丹生浦」の解説
丹生浦
にううら
敦賀半島の西側にある若狭国最北端の村。東と北は越前敦賀郡(現敦賀市)、南は
「扶桑略記」の延喜一九年(九一九)一一月一八日の記事に「大納言藤原尹文奏
自
若狭守尹衡許
告来渤海客来着之由
」とあり、同二一日の記事に「客徒牒状云、当
丹生浦中
浮居云々」とある。一〇五人の渤海客は同年一二月二四日、越前
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
敦賀半島の西側にある若狭国最北端の村。東と北は越前敦賀郡(現敦賀市)、南は
「扶桑略記」の延喜一九年(九一九)一一月一八日の記事に「大納言藤原尹文奏
自
若狭守尹衡許
告来渤海客来着之由
」とあり、同二一日の記事に「客徒牒状云、当
丹生浦中
浮居云々」とある。一〇五人の渤海客は同年一二月二四日、越前
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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