三方郡(読み)みかたぐん

日本歴史地名大系 「三方郡」の解説

三方郡
みかたぐん

面積:二四九・九一平方キロ
美浜みはま町・三方みかた

県の西南部、若狭地方の東部に属し、東は敦賀市、西は遠敷おにゆう上中かみなか町および小浜市、南は滋賀県高島たかしま郡と接し、北は若狭湾に臨む。郡西北部には三方五湖があって、五湖を含む海岸線は若狭湾国定公園の一部となっている。郡内東部の美浜町みみ川が北流、若狭湾に注ぎ、三十三間さんじゆうさんげん(八四二・三メートル)水源とするはす川が三方町を流れて三方湖へ注ぐ。平野部は耳川下流と三方五湖周辺に開けるのみで、野坂のざか山地丹波山地が海に迫り狭隘な地形である。

郡名は藤原宮出土木簡に「三方評」がみえ、平城宮出土木簡では「三方郡」となる。訓は「美加太」(「和名抄」東急本)。三方は三潟(三方・水月・久々子の三湖をさす)の意とも御潟(日向湖を加えた四湖の総称)の意ともいう(三方郡誌)。戦国時代には方位にちなんで北方きたがた郡の称もあった(→若狭国。「和名抄」東急本は能登のと弥美みみ(高山寺本では美)・三方の三郷を記し、東急本は余戸あまるべ家の二郷を加える。能登・三方は現三方町に、弥美は現美浜町に比定される。他の二郷の所在は不詳。「延喜式」神名帳に載せる神社は一九座(大一座・小一八座)

〔原始・古代〕

縄文遺跡は三方町の鳥浜とりはま貝塚が特筆される。三方湖の南畔に位置する縄文草創期・早期・前期に属する低湿地性貝塚で、「縄文人のタイムカプセル」とよばれるほど諸種の遺物が発見されている。美浜町では縄文中期から奈良時代にわたる竜沢寺りゆうたくじ遺跡があり、久々子くぐしに弥生末期の集落跡、口背湖くちせこ遺跡が発見されている。古墳も各地に点在するが、前方後円墳は美浜町郷市ごいち獅子塚ししづか古墳(古墳後期初頭)一基のみである。当古墳の被葬者は古代耳川流域一帯を支配した耳別一族とされる。耳別は「古事記」開化天皇の段に、その子日子坐王の子室毘古王は若狭耳別の祖とあり、皇統譜の伝承に記載される人物を祖とすることからも有力な地方豪族であったと考えられる。同古墳付近は弥美郷の地とされ、弥美駅家(「延喜式」兵部省)の比定地でもある。また周辺一帯には式内社に比定される神社も多く所在する。なお同古墳築造に際して興道寺こうどうじ窯が開かれたことが確実視されている。同窯跡は現在確認されているものでは県内最古である。興道寺には若狭地方最古の寺院跡である観音畑かんのんばた廃寺跡(奈良時代前期)もある。若狭の海岸部では古くから製塩が行われていたが、当郡では現在八世紀のものを主として一五ヵ所の製塩遺跡が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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