丹羽喬四郎(読み)ニワ キョウシロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「丹羽喬四郎」の解説

丹羽 喬四郎
ニワ キョウシロウ


肩書
衆院議員(自民党),運輸相

生年月日
明治37年3月30日

出生地
東京市南青山

学歴
東京帝大経済学部〔昭和5年〕卒

経歴
昭和6年内務省に入り、大阪府警部補、長野県、満州国、埼玉県、厚生省京都府などの勤務を経て、17年千葉県官房長、警視庁官房主事、情報局情報官を歴任、22年退職。22〜25年公職追放。27年茨城3区から衆院議員となり、以来9回当選。34年自治省政務次官、38年衆院建設委員長、46年第3次佐藤栄作内閣の運輸相となった。衆院公職選挙法改正に関する調査特別委員長を6回重任。自民党副幹事長、地方行政部会長、建設部会長などを務めた。

没年月日
昭和53年3月30日

家族
三男=丹羽 雄哉(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「丹羽喬四郎」の解説

丹羽 喬四郎
ニワ キョウシロウ

昭和期の内務官僚,政治家 衆院議員(自民党);運輸相。



生年
明治37(1904)年3月30日

没年
昭和53(1978)年3月30日

出生地
東京市南青山

学歴〔年〕
東京帝大経済学部〔昭和5年〕卒

経歴
昭和6年内務省に入り、大阪府警部補、長野県、満州国、埼玉県、厚生省、京都府などの勤務を経て、17年千葉県官房長、警視庁官房主事、情報局情報官を歴任、22年退職。22〜25年公職追放。27年茨城3区から衆院議員となり、以来9回当選。34年自治省政務次官、38年衆院建設委員長、46年第3次佐藤栄作内閣の運輸相となった。衆院公職選挙法改正に関する調査特別委員長を6回重任。自民党副幹事長、地方行政部会長、建設部会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹羽喬四郎」の解説

丹羽喬四郎 にわ-きょうしろう

1904-1978 昭和時代官僚,政治家。
明治37年3月30日生まれ。昭和6年内務省にはいり,千葉県官房長,外事課長などを歴任。27年衆議院議員(当選9回,自民党)。46年第3次佐藤内閣の運輸相。3男に厚相をつとめた丹羽雄哉。昭和53年3月30日死去。74歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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