久ヶ原村(読み)くがはらむら

日本歴史地名大系 「久ヶ原村」の解説

久ヶ原村
くがはらむら

[現在地名]大田区久が原一―六丁目・南久が原みなみくがはら二丁目・池上いけがみ三丁目・東嶺町ひがしみねまち

六郷ろくごう領の村。道々橋どどばし村の南に位置し、南は下丸子しもまるこ村。東に馬込まごめ領久ヶ原村があり、両村の耕地・土地は錯綜していて明確な境界はない。馬込領久ヶ原村に対し六郷領久ヶ原村あるいは六郷久ヶ原とよんで区別したが、村としての把握は時代・史料により必ずしも一定ではない。南境を池上道が通る。田園簿に六郷久河原村とみえ、田方三六石余・畑方二〇二石余、幕府領

久ヶ原村
くがはらむら

[現在地名]大田区久が原一―六丁目・南久が原みなみくがはら二丁目・南雪谷みなみゆきがや五丁目・北嶺町きたみねまち東嶺町ひがしみねまち千鳥ちどり一丁目・池上いけがみ三丁目

馬込まごめ領に属し、池上いけがみ(下池上村)の西に位置する。西接して六郷ろくごう領久ヶ原村があり、古くは一村であったかという。六郷領久ヶ原村に対し、馬込領久ヶ原村と通称された。古くは「今里村」と称したともいう。池上道が通る(風土記稿)。田園簿に久河原村とみえ、田方一六八石余・畑方五九石余、うち幕府領九六石余・芝増上寺隠居領一三一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報