久保全雄(読み)クボ マサオ

20世紀日本人名事典 「久保全雄」の解説

久保 全雄
クボ マサオ

昭和期の医師 新日本医師協会名誉会長。



生年
明治44(1911)年10月1日

没年
平成1(1989)年5月16日

出生地
東京都千代田区

学歴〔年〕
日本医科大学〔昭和11年〕卒

経歴
保健衛生、労働行政に携わり、昭和25年結成された新日本医師協会に参加、本部事務局長、幹事長などで活動。34〜36年青森県八戸市周辺で小児マヒが大流行した際、母親たちの「子供を小児マヒから守る中央協議会」の組織づくり、助言者としてソ連生ワクチンを緊急輸入、接種の実施に踏み切らせた。またアジア産業保健会議(現アジア労働保健会議)、日本民族医学研究所の設立に参加。40年には新潟水俣病栽判の原告側補佐人として証言に立った、50年から日本学術会議会員(第7部)。著書に「生きる条件」「小児マヒ」「母親運動十年の歩み」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保全雄」の解説

久保全雄 くぼ-まさお

1911-1989 昭和時代の医師。
明治44年10月1日生まれ。戦後新日本医師協会に参加して大衆的医療運動をすすめ,昭和55年会長。36年には母親運動を組織してソ連からのポリオ生ワクチン緊急輸入を実現させた。平成元年5月16日死去。77歳。東京出身。日本医大卒。著作に「生きる条件」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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