久保 卓也
クボ タクヤ
昭和期の防衛評論家 元・防衛事務次官。
- 生年
- 大正10(1921)年12月31日
- 没年
- 昭和55(1980)年12月7日
- 出生地
- 兵庫県神戸市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔昭和18年〕卒
- 経歴
- 昭和44年警察庁交通局長となり、交差点の「スクランブル方式」信号による横断方法を提唱。後、防衛庁入りし、次官在職当時は4次防をまとめたほか、わが国防衛計画の大綱を支える基盤的防衛力構想を作り、“ミスター防衛庁”の異名をとった。ロッキード事件発覚当時の「PXLの国産白紙還元は防衛庁の知らなかったこと」との発言は波紋を呼んだ。その後は、国防会議事務局長を経て評論家として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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久保卓也 くぼ-たくや
1921-1980 昭和時代の官僚。
大正10年12月31日生まれ。昭和18年内務省入省。44年警察庁交通局長となり,スクランブル方式信号の交差点を提案。45年防衛庁防衛局長,50年防衛事務次官。第4次防衛力策定計画(4次防),基盤的防衛力構想をまとめた。のち国防会議事務局長。昭和55年12月7日死去。58歳。兵庫県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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久保 卓也 (くぼ たくや)
生年月日:1921年12月31日
昭和時代の官僚;防衛評論家。防衛事務次官
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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