20世紀日本人名事典 「久保悳鄰」の解説 久保 悳鄰クボ ノリチカ 明治・大正期の神官 日枝神社宮司。 生年安政5年8月(1858年) 没年大正8(1919)年2月 出生地江戸・麴町(東京) 経歴家学を受け国学に精通した。明治6年教導職試補となり、7年少講義、9年権講義に進み、10年神道事務局講師、14年大講義となる。17年皇典講究所(現・国学院大学)文学部助教、23年国学院講師兼幹事、27年東京府神職取締所長、ついで皇典講究所試験委員を歴任。33年日枝神社宮司となり、大正2年神社奉祀り調査会および明治神宮造営局嘱託、のち東京府神職会会長を務めた。著書に「清園淳辞集」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保悳鄰」の解説 久保悳鄰 くぼ-のりちか 1858-1919 明治-大正時代の神職。安政5年8月生まれ。久保季茲(すえしげ)の子。国学をおさめ,明治6年教導職試補。17年皇典講究所(現国学院大)文学部助教,33年日枝(ひえ)神社宮司。のち東京府神職会長をつとめた。大正8年2月死去。62歳。江戸出身。著作に「清園淳辞集」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by