久吉保(読み)ひさよしほ

日本歴史地名大系 「久吉保」の解説

久吉保
ひさよしほ

上総国海北かいほ郡に置かれた保で、現市原市今津朝山いまづあさやま地域一帯に比定する説があるが未詳。「吾妻鏡」承元二年(一二〇八)一一月一四日条に上総国海北郡久吉郷とみえ、同所の住人僧善勝らが鎌倉鶴岡八幡宮の神職になったという。元亨二年(一三二二)八月二一日の海北兵部房明円陳状案(金沢文庫文書)によれば久吉保内惣官作田一町五反・畠二町および武矢野たけやの畠屋敷一宇は在地武士団の海北兵衛次郎惟持の所領であったが、惟持から給与されたと称する甥の海北兵部房明円と、惟持の子息長野三郎顕利から買得したとする頼賢とが領有をめぐって争論を起こしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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