大番役(読み)おおばんやく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大番役
おおばんやく

平安,鎌倉時代に行われた皇居,摂関家,幕府の警固番役。平安時代後期,令制の衛士が衰退したため,皇居の警固に武士をあてたのがその始り。鎌倉幕府成立後は全国の御家人に課すのを原則とした。期間は3~6ヵ月で御家人は催促に応じてこれをつとめた。のちに幕府警固のため,鎌倉番役が設けられると,東国武士がこれにあたり,京都大番役には主として西国御家人があたることとなったが,異国警固番役勤仕の御家人は免除された。摂関家では家領からこれを徴集し,摂関家大番役といった。鎌倉幕府のあと,建武政府も大番役を課したが,室町幕府にはこの制度はなかった。 (→大番 )  

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大辞林 第三版の解説

おおばんやく【大番役】

平安・鎌倉時代、京都の内裏・諸門などの警固役。京都大番役のほか、幕府所在の鎌倉の警固にあたるものを鎌倉大番役といった。大番。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大番役
おおばんやく

平安時代後期および鎌倉時代の内裏(だいり)や院御所の諸門の警固役。京都大番役、内裏大番、大内(おおうち)大番などともいう。前代の衛士上番(えじじょうばん)にかわるもので、諸国の武士が交替で勤仕した。平治(へいじ)の乱(1159)後からみられ、当時の国衙(こくが)軍制の公役(くやく)に由来するものと考えられるが、平氏の家人(けにん)制との関係や賦課形態など不明な点が多い。鎌倉幕府成立当初は、平氏政権期の慣行に従って、広く荘園(しょうえん)・公領の下司(げし)や押領使(おうりょうし)などに勤仕させているが、しだいに御家人のみの所役となった。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後、侍所(さむらいどころ)と六波羅探題(ろくはらたんだい)が統轄し、守護を通じて国内の御家人に交替で勤仕させる方式が確立した。かくて、守護の権限である大犯(だいぼん)三か条の一つに「大番催促」とあるように、平時において守護が国内の御家人を統率するもっとも重要な手段となった。ただし、有力な御家人のなかには幕府から直接催促を受けた者もある。催促状は、おおむね半年ないし1年前に出され、勤仕期間は3か月ないし6か月であった。また勤仕の周期は10年前後が普通であったらしい。大番役の負担は所領内の百姓に転嫁されることが多かったので、しばしば紛争が起こっており、幕府は百姓への転嫁をできるだけ制限する法令をたびたび発している。なお、大番役に類似したものに洛中(らくちゅう)の警衛にあたる在京役がある。これは、在京御家人とよばれた畿内(きない)・西国の特定の御家人を選んで勤仕させたもので、その宿衛所である篝屋(かがりや)にちなんで篝屋番役ともいった。[小山靖憲]

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精選版 日本国語大辞典の解説

おおばん‐やく おほバン‥【大番役】

〘名〙 平安・鎌倉時代の主として内裏と院御所の警固役。他に京都市中の警備や天皇や院の行幸に供奉することもあった。平安末期に衛士上番の制度が衰えて武士にかわったもの。鎌倉時代には、御家人役の随一として守護や惣領の指揮に従って勤番した(京都大番役)。任期は三~六か月。のちには在京御家人と異国警固役に従う御家人は免除された。承久の乱の後は将軍御所を警固する鎌倉大番役が制度化した。また、摂関家にもあって家領の荘民が勤番した。室町幕府にはこの制度はなかった。大番。大番勤。
※平家(13C前)五「畠山の庄司重能、〈略〉大番役にて、おりふし在京したりけり」

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世界大百科事典内の大番役の言及

【京都大番役】より

…鎌倉幕府の御家人役の一つ。内裏大番役,大内大番役ともよばれた。鎌倉時代後期の裁判関係の書《沙汰未練書》には〈大番とは内裏警固番役なり〉とあり,大番役といえば普通京都大番役をさす。…

※「大番役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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