平安時代後期および鎌倉時代の内裏(だいり)や院御所の諸門の警固役。京都大番役、内裏大番、大内(おおうち)大番などともいう。前代の衛士上番(えじじょうばん)にかわるもので、諸国の武士が交替で勤仕した。平治(へいじ)の乱(1159)後からみられ、当時の国衙(こくが)軍制の公役(くやく)に由来するものと考えられるが、平氏の家人(けにん)制との関係や賦課形態など不明な点が多い。鎌倉幕府成立当初は、平氏政権期の慣行に従って、広く荘園(しょうえん)・公領の下司(げし)や押領使(おうりょうし)などに勤仕させているが、しだいに御家人のみの所役となった。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後、侍所(さむらいどころ)と六波羅探題(ろくはらたんだい)が統轄し、守護を通じて国内の御家人に交替で勤仕させる方式が確立した。かくて、守護の権限である大犯(だいぼん)三か条の一つに「大番催促」とあるように、平時において守護が国内の御家人を統率するもっとも重要な手段となった。ただし、有力な御家人のなかには幕府から直接催促を受けた者もある。催促状は、おおむね半年ないし1年前に出され、勤仕期間は3か月ないし6か月であった。また勤仕の周期は10年前後が普通であったらしい。大番役の負担は所領内の百姓に転嫁されることが多かったので、しばしば紛争が起こっており、幕府は百姓への転嫁をできるだけ制限する法令をたびたび発している。なお、大番役に類似したものに洛中(らくちゅう)の警衛にあたる在京役がある。これは、在京御家人とよばれた畿内(きない)・西国の特定の御家人を選んで勤仕させたもので、その宿衛所である篝屋(かがりや)にちなんで篝屋番役ともいった。
[小山靖憲]
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平安末~鎌倉時代,内裏や院御所・摂関家・将軍御所を警固する役をいい,それぞれ内裏大番役(大内大番役・京都大番役)・摂関家大番役・鎌倉大番役とよばれた。たんに大番役といえば内裏大番役をさすことが多い。内裏大番役は平安後期以来,諸国の武士が交代で上京して勤め,やがて平氏がその統率にあたった。鎌倉幕府もこの制度をうけ継いだが,勤仕者を御家人に限った。御家人は国ごとに守護の指揮をうけて勤番し,1回の期間は3カ月ないし6カ月。在京中の大番衆は,初期には京都守護,ついで六波羅探題の統制下にあった。内裏大番役の勤仕は御家人の証しとなったが,その経費は彼らにとって相当の負担であった。
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…鎌倉幕府の御家人役の一つ。内裏大番役,大内大番役ともよばれた。鎌倉時代後期の裁判関係の書《沙汰未練書》には〈大番とは内裏警固番役なり〉とあり,大番役といえば普通京都大番役をさす。…
※「大番役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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