久多良木村(読み)くだらぎむら

日本歴史地名大系 「久多良木村」の解説

久多良木村
くだらぎむら

[現在地名]坂本村久多良木くたらぎ田上たがみ

球磨川の支流百済来くだらぎ川の上流から中流に立地し、当村の枝村が百済来川の支流板持いたもち川・山口やまぐち川・古田ふるた川などの谷壁に点在する。文保二年(一三一八)七月五日の北条高時書下(詫摩文書)葦北あしきた佐敷さしき・久多良木両浦を「任葛西殿御時例」じて、長崎治部左衛門尉宗行に安堵している。明徳二年(一三九一)九月日の武雄社大宮司跡代新兵衛尉軍忠状(武雄神社文書)によると、八代に侵入した今川勢は久多良木城を攻めて名和顕興らを降服させた。字そのに久多良木城(別名寺山城)跡があり、城跡の麓に蔵屋敷くらやしき陣の岩じんのいわとよばれる所がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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