新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「久松勝成」の解説 久松 勝成ヒサマツ カツシゲ 肩書松山藩知事 生年月日天保3年6月24日(1832年) 出身地伊予国(愛媛県) 経歴安政3年松山藩主を継ぐ。財政危機に直面していた藩の財政立て直しを図るため、あいついで人数扶持給与などを令するが、万延元年神奈川台場の建設、元治元年、慶応2年の2度にわたる長州征伐などの軍費支出により財政は困窮を極めた。慶応3年養子定昭に家督を譲り、いったん隠居するが、翌年再び襲封。以後久松に復姓したり、15万両を献金するなど、親藩ながらも新政府に恭順を示し、明治2年版籍奉還と共に松山藩知事に就任、4年廃藩置県により退官した。 没年月日明治45年2月18日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久松勝成」の解説 久松勝成 ひさまつ-かつしげ ⇒松平勝成(まつだいら-かつしげ) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by