親藩(読み)シンパン

デジタル大辞泉 「親藩」の意味・読み・例文・類語

しん‐ぱん【親藩】

江戸時代大名家格の一。徳川一門および分家で大名になったもの。尾張紀伊水戸御三家越前松平家など。

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精選版 日本国語大辞典 「親藩」の意味・読み・例文・類語

しん‐ぱん【親藩】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、徳川家康以降、徳川の子弟で大名となったものの藩。尾張、紀伊、水戸の御三家をはじめ、会津や越前の松平家などの藩の総称。
    1. [初出の実例]「今夫国中士大夫、沐浴太平之沢、儼然称親藩麾下、而飽食暖衣」(出典:弘道館記述義(1852)下)

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百科事典マイペディア 「親藩」の意味・わかりやすい解説

親藩【しんぱん】

江戸時代の大名類別の一つで,将軍家を除いた徳川氏直系と分家をいう。幕府権力の強化・維持に重要な役割を果たした。家康系,2代秀忠系,3代家光系,8代吉宗系などがあり,家康系の尾張・紀伊・水戸を三家,吉宗系の田安一橋清水三卿という。これ以外の一門とその分家は松平姓を称し,家門(かもん)と総称された。→譜代大名外様大名
→関連項目会津藩大名高松藩棚倉藩名古屋藩福井藩松江藩松代藩松本藩松山藩水戸藩山形藩淀藩和歌山藩

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「親藩」の意味・わかりやすい解説

親藩
しんぱん

幕藩体制のもとで定められた大名類別の一つ。江戸時代の大名は、将軍との親疎関係により、親藩、譜代(ふだい)、外様(とざま)の三つに分類された。親藩は徳川氏の直系一門および分家(支藩)をさし、家康系の越前(えちぜん)家・尾張(おわり)家・紀伊(きい)家・水戸(みと)家および久松(ひさまつ)家、秀忠(ひでただ)系の駿河(するが)家(改易)・保科(ほしな)家、家光(いえみつ)系の甲府(こうふ)家・館林(たてばやし)家、吉宗(よしむね)系の田安(たやす)家・一橋(ひとつばし)家、家重(いえしげ)系の清水(しみず)家などがこれにあたる。このうち尾張・紀伊・水戸の3家を御三家(ごさんけ)とよび、田安・一橋・清水の3家を御三卿(ごさんきょう)と称した。御三家・御三卿以外の徳川一門および分家は御家門(ごかもん)と総称した。親藩は徳川氏の一門大名として、幕府権力の強化・維持に重要な役割を果たし、とくに御三家・御三卿は将軍家の血統保持の役目をもった。

[藤野 保]

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改訂新版 世界大百科事典 「親藩」の意味・わかりやすい解説

親藩 (しんぱん)

江戸時代における大名類別の一つ。徳川氏の直系一門および分家(支藩)をいう。江戸時代の大名は,将軍との親疎関係により親藩,譜代,外様に分類したが,徳川家康は関ヶ原の戦における覇権確立以降,直系一門を大名に取り立て,これを親藩と総称した。秀忠以降も多数の一門が大名に取り立てられ,幕府権力の強化および維持に重要な役割を果たした。家康系の越前家・越後家(改易)・尾張家・紀伊家・水戸家,家康の生母伝通院が久松家に再嫁してできた久松家およびそれぞれの分家,秀忠系の駿河家(改易)・保科家,家光系の甲府家・館林家,甲府家より分かれた越智家,吉宗系の田安家・一橋家,家重系の清水家などがこれにあたる。このうち尾張,紀伊,水戸家を三家とよび,田安,一橋,清水を三卿と称した。三家,三卿以外の一門およびその分家はいずれも松平姓を称し,とくに家門と総称した。
松平氏
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「親藩」の解説

親藩
しんぱん

江戸時代の大名の家格を,将軍との関係を中心に分類する場合のまとまりで,譜代・外様と併称される。徳川将軍家の男子で大名となった家およびその分家をさす。幕末まで継続した家にかぎると,家康の直系としては,九男・十男・十一男をそれぞれの祖とする御三家(尾張・紀伊・水戸の各徳川家)およびその分家(美濃国高須・伊予国西条・讃岐国高松・陸奥国守山ほかの各松平家),次男秀康を祖として数家(越前国福井・美作国津山・出雲国松江・播磨国明石など)にわかれた越前家がある。また,2代将軍秀忠には会津松平家,8代吉宗には田安・一橋の各徳川家,9代家重には清水徳川家がある。田安・一橋・清水3家は御三卿とよばれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「親藩」の意味・わかりやすい解説

親藩
しんぱん

江戸時代,徳川宗家 (そうけ) の子弟で大名となった藩をいう。尾張,紀伊,水戸の3家 (→御三家 ) と越前,会津の2松平家の5家を親藩とした。5家の藩主子孫で分家したものを家門,特に3家の分れたものを連枝とした。親藩は譜代とともに幕政上重きをなし,特に3家は将軍家に継嗣のないとき襲職できる家柄であり,また水戸藩主は江戸に常勤して幕府と最も近い関係にあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「親藩」の解説

親藩
しんぱん

江戸時代,大名の家格
江戸時代の大名は徳川将軍との親疎により,親藩・譜代・外様の三つに分けられた。親藩は徳川家康以後徳川の子弟で大名になったものをいい,譜代とともに外様大名を牽制する役割をになった。特に尾張・紀伊・水戸の徳川家を御三家と呼んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の親藩の言及

【家門】より

…江戸時代における大名家格の一つ。徳川氏の直系一門(親藩)のうち,御三家・御三卿以外の大名とその分家および御三家の分家(御連枝)をいう。越前系の福井・松江・津山,尾張系の高須,紀伊系の西条,水戸系の高松,久松系の松山・今治,保科系の会津,越智系の浜田の各藩がこれにあたる。…

【大名】より

…又者(またもの)あるいは又家来という意味である。
[大名の類別]
 大名は,その経歴,取立てによって旧族大名,織豊大名,徳川系大名(徳川一門=親藩,譜代大名)に分類される。旧族大名は戦国大名から近世大名に転化したもの。…

【藩】より

…これらの藩の多くは,領地に城を持たない大名であった。また藩は,将軍家との関係で,大きく親藩,譜代藩(譜代),外様藩(外様)に分けられ,親藩はさらに三家(尾張徳川家,紀伊徳川家,水戸徳川家),一門,連枝に分けられた。譜代藩の藩主は,徳川氏が覇権を握る以前より徳川氏の家臣であったもののうち1万石以上の領地を持つもので,多くは徳川氏によって取り立てられたものであり,老中をはじめとする幕府の要職には彼らが就いた。…

【松平氏】より

…6代将軍家宣の弟清武を祖とする石見浜田藩万1000石の浜田松平氏(越智松平氏ともいう),3代将軍家光の弟保科正之を祖とする会津藩万石の会津松平氏(保科松平氏ともいう),三家尾張家の分家で美濃高須藩3万石を領有した高須松平氏,紀州家の分家で伊予西条藩3万石を領した西条松平氏,水戸家の分家で讃岐高松藩万石,陸奥守山藩2万石,常陸府中(石岡)藩2万石,常陸宍戸藩1万石を領した高松,守山,石岡,宍戸の各松平氏のほか,奥平信昌の四男(家康外孫)で家康の養子となって松平を称した忠明を祖とする家には,武蔵忍(おし)藩万石と上野小幡(おばた)藩2万石の大名がある。三河松平氏の分流が譜代大名であるのに対し,家康の子孫は親藩大名と分類できる。(3)松平姓を与えられた大名は,親藩では3代将軍家光の夫人の実家であり,紀州家と姻戚になる鷹司氏(上野矢田1万石)がある。…

※「親藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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