久米 権九郎
クメ ゴンクロウ
        
              
                        昭和期の建築家  
- 生年
 - 明治28(1895)年12月1日
 
- 没年
 - 昭和40(1965)年7月14日
 
- 出生地
 - 東京
 
- 学歴〔年〕
 - シュツットガルト州立工科大学(ドイツ)建築科〔昭和3年〕卒
 
- 学位〔年〕
 - 工学博士(ドイツ)〔昭和4年〕
 
- 経歴
 - 昭和4年帰国、渡辺仁と渡辺・久米建築事務所を開設したが、7年久米建築事務所を創設、独立した。大倉邸建設のため来日したドイツのブルーノ・タウトに助力、設計に当たった。住宅団地計画の先駆者であり、事業家としても活躍した。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    久米権九郎 くめ-ごんくろう
        
              
                        1895-1965 昭和時代の建築家。
明治28年12月1日生まれ。久米民之助(たみのすけ)の次男。ドイツのシュツットガルト州立工大を卒業し,昭和4年帰国,渡辺仁(ひとし)と建築事務所をひらく。7年独立して久米建築事務所を開設。東京等々力(とどろき)の住宅団地開発にくわわり,戦後も公営住宅団地計画にたずさわった。昭和40年7月14日死去。69歳。東京出身。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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