久芳村(読み)くばむら

日本歴史地名大系 「久芳村」の解説

久芳村
くばむら

[現在地名]福富町久芳

安芸国豊田郡の西北部、高田郡との境にあるたか山東南麓に位置し、東は能良のうら(現豊栄町)。村の中央部を流れる沼田ぬた川の本支流域に形成された低地耕地がある。丘陵地には多くの古墳が築造され、出土地は確定できないが、安芸国の一部にみられる鳥形瓶が出土しており、早くから開けた地である。「和名抄」所載の豊田郡訓芳くば郷の地に比定され、後には久芳保・久芳郷と称された。

建武三年(一三三六)一一月二六日の足利尊氏寄進状(本圀寺文書)によると、久芳保が京都本圀ほんこく寺の造営料として寄進されたが、貞和三年(一三四七)五月日付の園城寺堂社造営料所支配注進状(園城寺文書)に、園城おんじよう寺新羅社造営料未進分として久芳保がみえる。正平六年(一三五一)一二月二三日の足利義詮下文写(小早川家文書)により久芳郷の半分は足利義詮から小早川胤平に、至徳元年(一三八四)一二月二四日の将軍家御教書写(同文書)では小早川宗平・兼平に宛行われ、同三年一〇月二九日には小早川春貞に安堵されている(「足利義満安堵御判御教書案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報