日本歴史地名大系 「賀茂郡」の解説
賀茂郡
かもぐん
伊豆半島の南部を占め、南東は下田市、北は伊東市、
〔古代〕
「和名抄」にみえる伊豆国の郡。「延喜式」神名帳の賀茂郡では「カモ」と訓じている。「扶桑略記」天武九年(六八〇)七月条には「別駿河二郡、為伊豆国」とあるが、駿河二郡はのちの田方郡・賀茂郡のことと考えられる。天平二年(七三〇)一〇月の平城宮跡出土木簡には「賀茂郡川津郷湯田里」(「平城宮木簡」三―三〇六九)とみえる。木簡の一部には「加茂郡」と記す例もある(「木簡研究」三―一一頁)。「和名抄」諸本には賀茂郡の郷名として賀茂・
領域には古墳時代および奈良時代の遺物が出土する祭祀遺跡も多い。南伊豆町
賀茂郡
かもぐん
郡域の大部分は県中央南寄りの丘陵性山地に位置するが、黒瀬町のみは東広島市を挟んで西南方に飛地となっている。北方は西から高田・
現賀茂郡域は昭和三一年(一九五六)現豊田郡との大幅な郡域調整を行って確定したもので、それ以前の賀茂郡域は現在の豊田郡
〔原始・古代〕
現郡域内には旧石器時代の遺跡は見当らず、縄文時代の遺跡・遺物もごく少ない。わずかに河内町上河内の
賀茂郡
かもぐん
- 兵庫県:播磨国
- 賀茂郡
古代播磨国に存在した郡。「延喜式」武田本神名帳の傍訓はカモである。播磨国の東部に位置し、東は丹波国
「播磨国風土記」は賀毛郡と記し、応神天皇の頃
賀茂郡
かもぐん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報