日本歴史地名大系 「高田郡」の解説
高田郡
たかたぐん
広島県の中央やや西北寄りに位置し、北西は島根県
高田郡は安芸国に属し、その東北部を占めるが、古代には現高田郡域東部は高田郡、西部は高宮郡の二郡に分れていた。高田郡は「延喜式」にみえるが、高宮郡の名はすでに「三代実録」貞観四年(八六二)条にみえる。郡名は、郡域が中国山脈南側の高地で、「土地高き故に高田とは名づけられたるにや」という(芸藩通志)。山陰―山陽を結んだ雲石路(現国道五四号)が西南から北東に縦貫し、これを幹線として吉田などから近郡へ多くの道路が開ける。現在、郡北は中国自動車道が横断し、鉄道は国鉄芸備線が郡南部を縦断、郡北の郡境を国鉄三江線が走る。
〔原始〕
旧石器時代の遺跡は発見されていない。縄文時代の遺跡もきわめて少なく、吉田町多治比の
古墳時代の遺跡数は非常に多く、大部分は横穴式石室を内部主体とする古墳で、ほかにも墳墓・横穴・窯跡など多数がみられ、現在知られているだけでも七〇〇ヵ所以上、実数は一千ヵ所を超すといわれる。主なものは前半期の吉田町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報