高田郡(読み)たかたぐん

日本歴史地名大系 「高田郡」の解説

高田郡
たかたぐん

面積:五三八・七二平方キロ
向原むかいはら町・吉田よしだ町・甲田こうだ町・高宮たかみや町・美土里みどり町・八千代やちよ

広島県の中央やや西北寄りに位置し、北西は島根県邑智おうち郡、北東はごうの川を境に双三ふたみ作木さくぎ村、東は三次みよし市と双三郡三和みわ町、東南は賀茂郡、西は山県郡、南は広島市に接する。東に大土おおつち(八〇〇・一メートル)、東南にたか(九二二・一メートル)、西南に備前坊びぜんぼう(七八九・四メートル)、西北に犬伏いぬぶし(七九一・三メートル)などの高山がある。生田いけだ川・本村ほむら川・多治比たじい川・簸川ひのかわなど郡内の大部分の河川はいずれも、郡内中央部やや南をほぼ東北流する可愛えの川か、その本流で日本海に出る江の川に注ぐが、南西端を西南流する三篠みささ川のみは、瀬戸内海に入る太田おおた川に注ぐ。

高田郡は安芸国に属し、その東北部を占めるが、古代には現高田郡域東部は高田郡、西部は高宮郡の二郡に分れていた。高田郡は「延喜式」にみえるが、高宮郡の名はすでに「三代実録」貞観四年(八六二)条にみえる。郡名は、郡域が中国山脈南側の高地で、「土地高き故に高田とは名づけられたるにや」という(芸藩通志)。山陰―山陽を結んだ雲石路(現国道五四号)が西南から北東に縦貫し、これを幹線として吉田などから近郡へ多くの道路が開ける。現在、郡北は中国自動車道が横断し、鉄道は国鉄芸備線が郡南部を縦断、郡北の郡境を国鉄三江線が走る。

〔原始〕

旧石器時代の遺跡は発見されていない。縄文時代の遺跡もきわめて少なく、吉田町多治比の市場いちばで早期のもの、高宮町川根かわねすぎはらで後期の遺物が出たのみである。弥生時代の遺跡は中期から終期までのものが多い。中期は甲田町上小原翁かみおばらおうひらの祭祠遺跡、高宮町房後ぼうご新迫南しんざこみなみの墳墓群遺跡など、後期になると主要なものに吉田町常楽寺じようらくじの遺物散布地・同川本かわもと遺跡・同会下堂えげどう遺跡などがある。

古墳時代の遺跡数は非常に多く、大部分は横穴式石室を内部主体とする古墳で、ほかにも墳墓・横穴・窯跡など多数がみられ、現在知られているだけでも七〇〇ヵ所以上、実数は一千ヵ所を超すといわれる。主なものは前半期の吉田町国司池くにしいけうち遺跡・青山あおやま古墳があり、箱式石棺や竪穴式石室のものも十数ヵ所見付かっている。後半期は横穴式石室をもつものが主に造られ、群をなしたものが多く、生田川・可愛川・戸島としま川・三篠川の沿岸地帯には十数基から数十基が群集している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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