日本歴史地名大系 「乙木庄」の解説 乙木庄おとぎのしよう 奈良県:天理市朝和地区乙木村乙木庄文永二年(一二六五)の某田地寄進状案(猪熊信男旧蔵乙木荘図裏文書)に「在大和国山辺郡十二条七里十三坪内壱段自西六□□ 同十四坪内壱段西畔 同条八里廿一坪内壱段自西五□目(中略)(大和国山辺郡)乙木庄田内」とあり、乙木荘図では、乙木庄は一一条・一二条の七里・八里に展開しているので、同庄の所在は現乙木町に比定される。同図によると、四八ヵ坪に田畠が存在するので、面積は四八町と考えられる。もっとも、そのうちに「他領」として八幡(現奈良市の手向山神社か)分・内山永久(うちやまえいきゆう)寺分、現大和郡山市の松尾(まつお)寺領、現奈良市の白毫(びやくごう)寺領・新薬師寺領・菩提山正暦(しようりやく)寺領などのほか空閑地三〇町余があるので、乙木庄田畠は一三町余となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by